8章(要約)

黄色のハイライト | 位置: 2,289
わたしはいつになったらもっと利口になって、なめらかな人間関係がもてるようになるんでしょう? 幸せな関係を築く方法があるのですか? それとも、人間関係というのは、いつまでたっても難題なのですか?

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,296
ほかの人間や場所、出来事との関係を通じてのみ、あなたは(個性のある実体として、ほかと区別しうる何者かとして)宇宙に存在できる。ほかがなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。自分以外のほかとの関係があるから、あなたは存在する。それが相対性の世界というもので、それと対照的なのが絶対性の世界、わたしが存在する世界だ。

納得。ヒトはネットワーク(ヒト、物質、精神)の中でのみ生きることができる存在。魚が水の中でのみ生きることができるように。

青色のハイライト | 位置: 2,316
人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、相手のどんな部分を把握し、つかまえておきたいかを決めることではない。

青色のハイライト | 位置: 2,341
人間関係 の 試練 は、 相手 が あなた の 思い に どこ まで 応え て くれる か、 自分 が 相手 の 思い に どこ まで 応え られる かに ある、 と 思いこむ 誤解 だ。 しかし、真の試練とは、あなたがあなた自身への思いにどこまで応えられるか、ということなのだ。

青色のハイライト | 位置: 2,342
人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会──それどころか、唯一の機会──を与えてくれるからだ。逆に、相手の最も気高い部分をとらえて経験する、つまり他者との経験のための最大の機会だと考えると、失敗する。

青色のハイライト | 位置: 2,348
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべき
青色のハイライト | 位置: 2,354
〈マスター〉は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,329
人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」──つまりほんとうの自分という存在をまるごと──分かちあう相手をもつことだ。

「人間関係が神聖なのは、最も気高い自分をとらえて実現する経験ができる、つまり自分を創造する最大の機会──それどころか、唯一の機会──を与えてくれるからだ。」ということが、述べたいことなのだろう。ただ、意味が理解しにくい。対談する際は、相手へは、自分の最高の状態(明るい、元気、理知的など)を表現し、伝えることになるから、そのときの自分の状態を言っているのかなあ。
人間関係とは、互いの魂が結び合う状態を作り出すもの。その状態の質により、最悪から最良のレベルがある。各自それぞれにとってのが最良の状態を求め、結果、それぞれの固定したグループができあがり関係が出来上がる。との理解ではどうなのだろう。

青色のハイライト | 位置:2,356
最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。

黄色のハイライト | 位置: 2,358
自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。多くのひとたちは、相手への愛情を通じて自分への愛情を求めるという過ちを犯している。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,395
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見いださなければならない。他者を祝福すべき者として見るためには、まず自分を祝福すべき者として見なければならない。他者の神聖さを認めるには、まず自分自身が聖なる存在であることを知らなければならない。

青色のハイライト | 位置: 2,398
自分を認める前に他者を神聖な存在として認めるなら、やがてはそれを恨むようになるだろう。人間にとって耐えられないことがひとつあるとすれば、それは自分より他者のほうが神聖だということだから。しかし、あなたがたの宗教は、他者をあなたよりも神聖だと考えろと強要する。そこで、あなたがたはしばらくは従う。それから、他者を迫害するようになる。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,407
あなたがたは決して心から、純粋に誰かを恋することができない。心から、純粋に自分を恋していないからだ。これからは自分を中心にしなさい。いつでも相手ではなく自分が何者であるか、何をし、何をもっているかを考えなさい。 あなたがたの救済は相手の行動のなかにではなく、あなたがたの反応のなかにある。

「人間関係においては、相手はどうでもいい。自分を愛しなさい。相手に自分に対する愛を求めれば、それを得ることが出来なければ、相手を非難する。自分ではコントロールできない相手というものに関わるから、自分が不安定になる。また、相手の長所を見出せば、それを羨み迫害する。」と言ってるように思える。そうだろうか。
通常は、相手の長所(優しい、理解がある、前向きである、性格が明るい、など)を見出し、その人と関係をもつことが、自分の喜びとなる。、という風に人間関係は作られていくのではなかろうか。つまり、相手の長所に引き寄せられて、人間関係が形成されると思う。
自分も愛し、相手も愛す。というのが、正しい人間関係ではなかろうか。
本書の主張は、納得できない。

黄色のハイライト | 位置: 2,410
わたしの誤解かもしれませんが、でも、相手に何をされたかを考えてはならないというように聞こえます。相手は何をしてもいい、こちらの心が安定してさえいれば、自分を中心に据えてさえいれば、そうやってちゃんとしていれば、どんなことがあっても平気だというように聞こえます。 けれど、相手が何をしても平気というわけにはいきません。相手の行動に傷つくこともあります。人間関係で傷つくと、わたしはどうしていいかわからなくなるんです。「受け流せ、平気でいろ」と言うのは立派ですが、「言うは易く、行うは難し」です。わたしは実際、相手の言葉や行動に傷つくんです。

青色のハイライト | 位置: 2,416
いつかは傷つかなくなる日がくるだろう。その日、あなたは人間関係の真の意味、人間関係を結ぶ真の理由に気づき、真の人間関係を実現するだろう。 それを忘れているから、いまのような反応をするのだ。

後段で出てくる内容に詳しい回答があるようだ。
「自分の感情に正直になること。相手に不快感(悪)を感じたら、素直にそれを伝えること。それは、相手が悪のままの状態でいないようにすることで、相手のためにもなっている。」
という説明である。そのまま、実行すると、相手とは仲たがいするであろう。その後、その関係が、収束するのか、永年継続するのか。来世で変化するのか。素直に伝えるにしても、タイミングが大事であろう。
と、こんな理解でいいのかなあ。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,419
人間関係というのは魂の仕事、偉大な理解、偉大な記憶だ。

そうかもしれないと思う。

青色のハイライト | 位置: 2,420
自己創造の手段として人間関係をいかに活用するか

何を目指しての自己創造なんだろう。自己創造って、何なのだろう。神の偉大さを知っているだけから、神の偉大さを体験する、ことが自己創造なんだろうか。としたら、次に、神の偉大さって何なのだろう。それが分らないと、創り出すことができない。神の偉大さって、愛?、でも、愛って何を指すのか、いまいち分からない。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,422
あなたが相手の在り方、言うこと、行動に傷つき、苦痛を感じたときには、どう反応すればいいか。まず、どう感じているかを自分にも相手にも正直に認めなさい。あなたがたの多くは正直に認めるのを怖がる。そうすると自分が「悪く見える」のではないかと思うからだ。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,427
自分の感情を大事にすることだ。自分の感情を尊重するとは、自分自身を尊重することだ。あなたがたは自分を愛するように隣人を愛さなければならない。だが、自分の感情を尊重できないで、どうして相手の感情を理解したり、尊重したりできるだろう?

ここは、前述したように、「自分の感情に正直になること。相手に不快感(悪)を感じたら、素直にそれを伝えること。それは、相手が悪のままの状態でいないようにすることで、相手のためにもなっている。」ということなのかなあ。相手に不快感を伝えるのは、もう、我慢ができない、という段階で行うのだろう。それなら、オッケーかな。ただ、この通りに行うと、人間関係がおかしくなる気もする。どうなんだろう。

青色のハイライト | 位置: 2,438
マスター〉はほんとうの自分を実現することに人生を捧げている

ほんとうの自分ってなんだろう、具体的に言ってもらえば大いに参考になると思うんだけど、抽象的ないい方が多いので、なんかわからないんだよなあ。

青色のハイライト | 位置: 2,440
マスター〉は災厄を祝福する。災難のたねから(そしてすべての経験から)自己の成長が生まれることを知っている。〈マスター〉の人生の第二の目的は、つねに成長することだ。完全に自分を実現したら、残っているのは、さらに成長することだけだから。

災厄が成長を即すというのは分かる気がする

青色のハイライト | 位置: 2,444
あなたはまだ(「ほんとうの」)自分を知りたがっている。
青色のハイライト | 位置: 2,445
人生(神)は、真の自分を創造する豊富な機会をあなたに与えるだろう
青色のハイライト | 位置: 2,450
〈マスター〉とは、つねに同じ回答を出すひとたちだ。その回答とは最も気高い選択である。

本当の自分、真の自分、気高い選択、って具体的にどのような状態なんだろう、、わからない。

黄色のハイライト | 位置: 2,453
もちろんそうなると、「気高い選択」とは何かという疑問が起こるだろう。

ここは、神が述べている部分だが、「気高い選択」の説明を受けたい、、ところが、以降を読んでもわからないのが残念で、ビックリする、、

ピンク色のハイライト | 位置: 2,458
被害をおさえるとか、できるだけ得をするという観点から人生を生きていると、人生の真の利益を失ってしまう。機会が失われる。チャンスを見のがす。そんな人生は、不安に駆りたてられて生きる人生だし、そんな人生を送るあなたは、ほんとうのあなたではない。

同感である。

青色のハイライト | 位置: 2,460
あなたは不安ではなく愛だから。愛は何の保護も必要としないし、失われることもない。

青色のハイライト | 位置: 2,463
勝ち負けではなく愛するか愛し損なうかだけが試されていると理解しているひと、

また出ました「愛」。あなたは愛、って何なんだろう、言葉の限界なのか、何度も「愛」を見るが、何を言ってるのかわからない、私だけ分からないのかなあ。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,465
第二の疑問をいだく者は「わたしの身体、それがわたしだ」と言う。第一の疑問をいだく者は、「わたしの魂、それがわたしだ」と言う。

同感です。

青色のハイライト | 位置: 2,467
すべての人間関係の決定的な接点において、問題はひとつしかない。 「いま、愛なら何をするだろうか?」
青色のハイライト | 位置: 2,470
愛に支えられた行動についての原則は、だいたい誤解されているからである。そしてその誤解が人生の恨みや怒りを誘い、その恨みや怒りのゆえに、おおぜいが自己実現と成長の道から離れたままでいるからである。

「愛」が何度も出てくるが、相変わらず何を言いたいのかわからない。もう少し分かるように説明できないのかなあ。

青色のハイライト | 位置: 2,473
最も気高い選択とは、あなた自身に最高の善をもたらすものである。
青色のハイライト | 位置: 2,475
この言葉の謎は、自分に与えられる最高の「善」とは何かを考えるとき、少しは解けてくるだろう。そして至高の選択が行われるとき、謎は解け、輪は完結し、あなたにとっての最高の善が他者にとっても最高の善になる。
青色のハイライト | 位置: 2,477
このことを理解するには、一生涯かかるかもしれない。あるいはもっと多くの生涯が必要かもしれない。

最も気高い選択、最高の善、、、分からないことの上にまた分からないことを積み重ねている。こんな繰り返しは時間の無駄でしかない気がする。
結局、もっと多くの生涯が必要かもしれない。ときたもんだ。要するに、今世ではわからないかもよ、ってことぐらい難しいってことなんだろうなあ。わかろうとあくせくするのは、一休みだね。

青色のハイライト | 位置: 2,479
あなたが自分のためにすることは、他者のためにすることである。他者のためにすることは、自分のためにすることである。 なぜなら、あなたと他者とはひとつだから。 そして、それがなぜかと言えば……、 あなたのほかには何もないから。

青色のハイライト | 位置: 2,482
地上に現れた〈マスター〉はみんな、それを教えてきた(「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。わたしの兄弟の最も小さなひとりに対してしたのは、このわたしに対してしたのである」)。

自分も他者も一つの神から分かれたものであり、元々は一つ。他者に対するということは、神に属する神から分かれたものに対するということなのだから、神に対する、と同じことになる。
このようなことを述べていると思う。そういう意味では、同意する。
自分も他者も一つで同じなら、自分を第一にする、という考えより、相手を第一にするということでも、同じことが言えると思う。そのほうが、実生活では行動しやすいように思う。どうなんだろう。

青色のハイライト | 位置: 2,491
他者を基準として「正しいことをしよう」と努力したひと──すぐに赦し、同情を示し、ある種の問題やふるまいを見過ごしつづけてきたひとたちは、結局は神を恨み、怒り、信じなくなった。

「他者を基準」ではなく、「自分の価値観を基準」にして、自分も相手も同じく第一にして考える。というのが高次の選択であり、且つ、実生活では生き易い方法ではなかろうか。

青色のハイライト | 位置: 2,491
他者を基準として「正しいことをしよう」と努力したひと──すぐに赦し、同情を示し、ある種の問題やふるまいを見過ごしつづけてきたひとたちは、結局は神を恨み、怒り、信じなくなった。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,494
神は、あなたが愛する相手に自分自身も含めるようにと求めているだけである。
青色のハイライト | 位置: 2,495
神は、自分を第一に考えることを提案し、勧めている。
青色のハイライト | 位置: 2,499
気高い意味で自分自身を第一に考えるなら、決して神意にかなわない行動をするはずはない。

「愛する相手に自分も含める」といいながら、「神は、自分を第一に考えることを提案している。」というのは矛盾している気がする。
「愛する相手に自分も含める」という考えを優先すべきだと思う。

青色のハイライト | 位置: 2,502
自分にとって何が最善かを見きわめるには、自分が何をしようとしているのかを見きわめなければならない。

何が最善か、高次の選択とは何か、真の自分とは何か、の答えは下記だと思うが、どうなんだろう。
・すべての構造を理解している自分
 自分、他者は、神から分かれた存在であり、神と同等のものである。
 神の素晴らしさを体験するために、現生に存在している。
 神の素晴らしさとは、喜びに満ち溢れている状態。(この箇所以降は、私の独断です)
 喜びとは、ある条件が整うと、創発されるもの。創発させる仕組みは不明。
 故にいろいろな状況、環境件を試し、経験しながらその「ある条件」をさぐりあてる作業を行う。
上記の構造を理解、実践していることが、最善、真の自分、高次の選択、ではなかろうか。 

ピンク色のハイライト | 位置: 2,505
実際問題としては──ここでも難解な真理はさておいて──虐待されている状況で自分にとって最善なことは何かと考えれば、少なくともその虐待をやめさせなければならない。虐待をやめさせることはあなたにとっても、虐待する側にとっても良いことである。 虐待を続けさせておけば、虐待する側までが虐待されることになるからだ。 それは虐待者を癒すのではなく、傷つけることである。虐待は受け入れられるものだと思っていたら、虐待者は何も学べない。ところが、虐待はもう受け入れられないとわかれば、虐待者は何かを発見できるだろう。 愛情ある態度をとるということは、必ずしも相手の好きにさせるということではない。
ピンク色のハイライト | 位置: 2,513
横暴な独裁者を栄えさせてはいけないし、横暴はやめさせなくてはいけない。自分への愛、独裁者への愛がそれを要求する。

このことは、私が述べた「自分の考えを基準にして、自分と相手の幸せを第一にする」ということになると思う。同感である。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,514
あるのは愛がすべてだとしたら、どうして人間は戦争を正当化できるのですか?」という問いへの答えである。 時には、人間は真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として、戦争へ行かなければならない。 時には、ほんとうの自分であるために、ほんとうの自分を放棄しなければならない。
ピンク色のハイライト | 位置: 2,524
だからといって、人間関係で傷ついたら「仕返しせよ」というのではない(国家間の関係でも同じだ)。ただ、傷つけられても放っておくことが、あなた自身にとっても他者にとっても愛ある行為とは限らない、というのである。 こう考えれば、最高の愛があれば悪に対しても力ずくの対応をしない、という一部の平和主義者の主張は通らなくなるはずだ。

自分と、他者を峻別しすぎていると思う。自分も他者も神の枝分かれであり、一体である、その他者が誰かを、または私を傷つけているのは、その他者にとって行うべきことでなく、間違っていて、その間違いを継続させるのは本人の真の姿でないので、諫める。対話で諫める、だめなら、暴力で諫める、戦争で諫める。どれも同等のものでしかない。いずれも、その人に、その人の真の姿を取り戻してもらうための行動である。という説明のほうがより、いいと思う。どうなんだろう。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,530
人生の目的からして、あなたは増えるいっぽうの現象のなかから、悪と呼ぶ現象を選び出さなければならなくなる。そうしないとあなたは自分自身もほかのことも善と呼ぶことができず、自分自身を知って創造することができないからである。 あなたは何を悪と呼び、何を善と呼ぶかで自分自身を定義する。 最大の悪は、どんなものも悪ではないと宣言することである。

なるほど、そうですね、納得です。

青色のハイライト | 位置: 2,535
人間関係の目的と機能もまったく同じである。あなた自身を発見し、あなた自身を定義し──あなたが選択するならば──ほんとうの自分自身をつねに創造しなおすための経験の場を提供すること、それが人間関係の目的であり、機能である。

私なりの言い換えをすると、
「神から分化した我々が相みまえる時、互いの進化の度合を感じ、刺激しあい、自分の進化に役立てていく。そのことに人間関係の意義がある。例えば、自分より他者への対応が優しい学生時代のあいつ、茫洋としているが人をひきつける高校の後輩のあいつ、などと交流すれば、刺激を受け、近づこうとする、逆もあり。」

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,542
あなたはひとが考えたり、言ったり、したりしたことに傷つくだろう。いつか、傷つかない日がくるまでは、しかたがない。その日に最も早く到達する方法は、完全に正直になることだ。自分がどう感じているかをはっきりさせ、認め、口にすることである。あなたの真実を語りなさい。優しく、しかし包みかくさず真実を語りなさい。あなたが真実だと感ずるように生きなさい。おだやかに、しかし一貫してあなたが真実だと感ずるように生きなさい。経験によって新たなことがわかったなら、すなおにすばやく変更しなさい。

良い考えの枠をつけてみたが、実生活で実践するにはハードルが高いかなあ、要点は「優しく、おだやかに語りなさい。」ということだろうなあ、傷ついた真実を相手に伝えるということは、相手との交流が断たれ、相手に悪意を持たれる危険があるということ。各自のバランス感覚で優しく、おだやかに語るということか、ただし、ヒトを傷つけるような人は、初めから避けるだろうなあ。

しかし、真実を述べることは、神としての相手の進化を促すため、と考えれば、述べて当然だ。それ以外の気持ちで述べるのはいけない、と考えれば、納得はいく。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,590
あなたがたは、わたし、すなわち神が本質的に不完全な存在を創りながら、完全であることを要求している、完全でなければ地獄に落とそうとすると言う。 それから、世界が始まって数千年したところでわたしが態度をやわらげ、これからは善である必要はない、善でなかったときに悔いて悲しみさえすればいい、そしてつねに完璧でありうる神のひとり子を救世主として受け入れればいい、そうすれば完璧さを求めるわたしの飢えは満たされると言った、と言う。あなたがたは、わたしの子──完璧な神のただひとりの子──があなたがたをそれぞれの不完全さから救った、わたしが与えた不完全さから救ったと言う。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,596
言い換えれば、神の子は父である神からあなたがたを救ったことになる。

現聖書を否定している。たしかに、人間を罪の子として展開していく思考方法は、元気が出なくなる。憶測だが、教会の思惑で、ヒトを貶め、自信をなくさせ、ひいては、教会の存在価値をたかめ、教会のいう事を聞かせようとしているマインドコントロールマニュアルが聖書ともいえるのではなかろうか。

黄色のハイライト | 位置: 2,598
 あなたがキリスト教のファンダメンタリスト(原理主義者)たちの教義を真っ向から攻撃していると感じたのは、この本のなかで、これが二度めです。驚きました。

確かに、本書の神は聖書に異議を唱えている。そもそも聖書の成り立ちはどうなっているのか、歴史検証がどの程度の正確さでなされているのか、キリストの教えをどこまで忠実に再現しているのかなあ。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,628
第一に、正しい理由で人間関係を結ぶこと(「正しい」と言っても、相対的な意味で、あなたの人生の大きな目的に照らして「正しい」ということだ)。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,629
たいていのひとはいまだに「間違った」理由から人間関係を結んでいる。寂しさから逃れるため、心のすきまを埋めるため、愛を感じたいため、ひとに愛を感じさせたいため。こういった理由はましなほうだ。なかには自我を救うため、憂うつから脱したいため、性生活を向上させたいため、過去の経験から立ちなおりたいためというのもあるし、退屈だからという場合さえある。

人間関係とは、何かの目的(家庭、仕事、学校など)に向かうときに、遭遇する他者との間に結ばれるものである。そして、気が合う合わない(魂が合う合わない)という意識により、その関係に濃淡ができる、という過程を経ると思う。「正しい理由」とは、「気が合う合わない(魂が合う合わない)」ということでしかない、とおもう。


青色のハイライト | 位置: 2,640
たいていの場合、愛は、充足したいという欲求への反応として起こる。
青色のハイライト | 位置: 2,642
あなたがたはお互いに、充足したいという欲求を満たすチャンスを見いだした。そこで、あなたがたは──暗黙のうちに──取引をする。あなたがもっているものをくれるなら、わたしももっているものをあげましょう、という取引だ。 これは商行為だ。だが、あなたがたはそんな真実は口にしない。「あなたと大きな取引をします」とは言わず、「とても愛しています」と言う。それが失望のはじまりだ。

誰かを愛するというのは、その人の魂を感じてしまった自分の魂がその魂に惹きつけられてしまう状態をいうのではなかろうか。取引、という概念が入り込む余地はないと思うがどうなんだろう。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,676
難題や困難を避けようとしてはいけない。難題や困難を歓迎しなさい。心から歓迎しなさい。神からの偉大な贈り物だと思いなさい。ほかとの関係のなかで──そして人生で──するべきことができる栄えある機会だと思うことだ。
ピンク色のハイライト | 位置: 2,678
困難にぶつかったとき、パートナーを敵だの対立相手だのと考えないように努力しなさい。どんなひとも、どんなことも敵だと思わないこと、それどころか問題だとも思わないことだ。すべての問題をチャンスだととらえる力を養いなさい。チャンスというのは……。  ……わかってます、わかってます。「ほんとうの自分とは何かを決め、ほんとうの自分になる」チャンスですね。

この考え方は素敵だと思います。ただ、困難はちょっと辛いと思いますが、この気持ちでことに臨むべきなのでしょう。

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,692
わたしたちが相手に見るものを、相手は自分自身に見る、と言い換えよう。わたしたちが見るヴィジョンが大きくなればなるほど、相手は進んでそのヴィジョンを自分のなかに発見し、わたしたちにも見せてくれる。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,703
いつもほんとうの自分を思い出してみせていれば、いつかは相手もほんとうの自分を思い出す。ひとはあなたのなかに自分自身を見るから。

人との出会いは、本質は神同士の出会い、といっても過言ではない。自分を神とわかっていない相手に、私のこころに映っている相手の神の姿を相手に示す、そのように対応することにより、相手が気づく。という事だと思う。同意します。

青色のハイライト | 位置: 2,725
神と協力関係にあるという自分が味わった思いを通じて、もう一度ひととつながりをもちたいと思ったためだった。
青色のハイライト | 位置: 2,743
自分は神につかわされた人間だと言いきるのには、非常に勇気がいる。知っているだろうが、世界はほかのことなら何でも受け入れても、神につかわされた人間は受け入れたがらない、そうではないか? 神のメッセンジャーはどうか? わたしのメッセンジャーはひとり残らず、おとしめられてきた。栄光を得るどころか、心痛以外の何も得られなかった。

ウォルシュが神のメッセンジャーである。といっている。メッセンジャーというのは、ラジオのようであって、ただ神の言葉を伝える機械の役目しかないと思う、ラジオから流れた話の内容をラジオは理解していないように、メッセンジャーのウォルシュも神の言葉を神と同レベルで理解していないと思う。我々一読者と同じでしかないと思う。単なるメッセンジャーであり、自身が新たな言葉を紡げる根源の力はないと思う。単なる神の言葉のオウム返しをしている方。偉大なわけではない。類い稀な存在ではあるが、通訳の能力の範囲をでるわけではない。その認識が重要だと思う。ここで述べられていることは、メッセンジャーが根源的な力を持っている偉大な人であるかのように表現されている。


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