5章(要約)

黄色のハイライト | 位置: 1,812
真の神への道とは何ですか? 

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,831
十戒などというものはない。
あなたがたがわたしとひとつになる時がきたときはどうなるか、という約束だ。

十戒を約束とする考え、おもしろい。
余談ですが、聖書の登場する主(神)は恐ろしい。
出エジプト記20章には、「主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし」とある。性格悪い暴君、なるべく会いたくないもののように感じてしまう。それに比べて、ウォルシュが説く神こそ、優しく安心できるホントの神の様に思ってしまう。

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,847
わたしはモーセの前に聖なる約束をたずさえて現れた。いま、こうしてあなたの前に現れているように。

お、本書に出てくる神は、旧約聖書での十戒を授けた神と同じなのだ。感嘆。

青色のハイライト | 位置: 1,850
神の言葉は戒律ではなく、約束だ。したがって、これは……「言質」である。
青色のハイライト | 位置: 1,889
わたしの「言質」である。

言質の使い方がおかしい気がする。
言質とは、後々証拠になる言葉のこと。相手から後で証拠にできるような言葉を引き出すことを「言質を取る」という。約束=言質 とはならないし、ここでの言質の意味が不明です。

青色のハイライト | 位置: 1,904
あなたが言うような天国はどこにもない。どこにもないという意味のnowhereのwとhのあいだをあけてみよう。そうすれば、あなたがたは天国をいま(now)……ここ(here)に見るだろう。

しばしば、コトバ遊びが出てくるが、どうなんだろう。こじつけでしかない気がする。
「nowhere」の語源・由来は下記である。
—-「nowhere」は、古英語の「nāhwǣr」に由来し、これは「nā」(ない)と「hwǣr」(どこ)の組み合わせである。この言葉は、中英語の「nowher」を経て現代英語に受け継がれ、現在の形となった。—-
この語源と無関係に「nowhere」をnow とhereに分割して何かの意味を持たせることはいい加減すぎる気がする。なんの説得力もない気がする。

黄色のハイライト | 位置: 1,907
「天国はいまここにある」のなら、なぜわたしにはそれが見えないんですか? どうして、それを感じられないんですか? どうして、世界はこんなにめちゃくちゃなんですか?

青色のハイライト | 位置: 1,923
知らないことは経験できない。そして、あなたはいま、ここで「天国」を経験していないから、それを知らない。悪循環だ。知らないことは経験できない──その術をまだ見いだしていない──し、経験できないことは知ることができない。 悟りとは、経験していないことを知ること、それによって経験するということだ。
青色のハイライト | 位置: 1,929
あなたがたは神がいることを知っている。だが、それを知っていることを知らないかもしれない。そこで、あなたがたは経験を待ってうろうろしつづける。ところがその間ずっと、経験しているのだ。しかし、そうとは知らずに経験している。それではぜんぜん経験していないのと同じだ。

結局、「「天国はいまここにある」のなら、なぜわたしにはそれが見えないんですか?」の問いには答えていない。質問に対して答えず、別のことをh述べることが多い。なぜなのかわからない。

また、いたずらに、分かりにくい言い回しをすることも多い。
・「知らないことは経験できない──その術をまだ見いだしていない──し、経験できないことは知ることができない。」
知らないことでも経験はできるだろう。急に何かに出くわして経験することは多くある。本書の主張は不明。
・「悟りとは、経験していないことを知ること、それによって経験するということだ。」
何を言っているのだろう。経験・知る、の定義が不明で、結局言いたいことがわからない。この文を理解できるものがいるのだろうか、ウォルシュも、神も含めて。奇を衒っているようにしか見えない。分からなく難解っぽくすることで、偉大な本であるかのような箔を付けようとでも思っているのか、とゲスの勘繰りをしてしまう。普通にわかるように表現してほしい。

青色のハイライト | 位置: 1,929
あなたがたは神がいることを知っている。だが、それを知っていることを知らないかもしれない。そこで、あなたがたは経験を待ってうろうろしつづける。ところがその間ずっと、経験しているのだ。しかし、そうとは知らずに経験している。それではぜんぜん経験していないのと同じだ。

この文章も、理解不能。もっと、わかりやすく表現できないのか。読者の多くは忙しいのだよ。
ここで言いたいのは、
・自身が神であることを知ること
・そのうえで、神であることを、経験をすること
別の所では、「自身が神であることを忘れさせ、経験をさせている。そうでないと、真の経験ができない。」とも言っている。
一貫性がない気がする。どうなんだろう。

黄色のハイライト | 位置: 1,934
 ほんとうの精神生活では、欲望や自我を捨てなければならないのですか?

経験を通して神になるにはどうすればいいのか、という質問だろう、それは聞きたい。

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,950
精神的な道を歩んでいるひとは、現世的な情熱、人間的な欲望をすべて捨てているように見える。じつはそうではなく、情熱や欲望を理解し、幻想を見きわめ、自分のためにならない情熱を遠ざけているのだ。

なるほど

青色のハイライト | 位置: 1,953
a 情熱とは、「こう在る」ということから「行為」への転換を愛することである。
青色のハイライト | 位置: 1,956
b 悟りとは情熱を否定することではない。結果への執着を否定することだ。情熱は行為への愛である。行為は「ある在り方」を経験することだ。それで、行為の一環として何が生まれるか? 期待だ。 期待なしに人生を生きること──具体的な結果を必要とせずに生きること──これが自由である。これが神性である。これが、わたしの生き方である。

a 神は自分が完全であることを知っている。それを体験したい。行動したい。そう思わせるエネルギーがここでいう情熱なのだと思う。
ただ、「こう在る」ということから「行為」への転換を愛する。で、「愛」の意味が不明。
b ここは、意味が不明である。

黄色のハイライト | 位置: 1,960
あなたは結果に執着しないのですか?

青色のハイライト | 位置: 1,961
決して執着しない。わたしの喜びは創造にあるのであって、その結果にはない。悟るとは行為を否定しようと決意することではなく、行為の結果には意味がないと理解することである。この二つには、大きな違いがある。

体験とは、創造し、結果を知る、ことまで含める気がするのだが、どうなんだろう。
目的を決めたら、それにまっしぐらに進むことで私に世界がついてくる。と他ページで述べてるが、目的・結果に執着は肝要なのではないのかなあ。

黄色のハイライト | 位置: 1,963
「情熱とは、『こう在る』ということから『行為』への転換を愛することである」という言葉を、もう少し説明していただけますか?

青色のハイライト | 位置: 1,966
a 純粋に「在る」とは、純粋に神であることだ。
b あなたがたの核心は愛と呼ばれる神性の状態である(ちなみに、これがあなたがたの真実である)。
c 愛であることと、愛することとはまったくべつのことがらである。
d 何かをしたいという衝動は情熱と呼ばれる。
e 情熱とは「やあ、こんにちは」と言いたがっている神である。
f だが、神が(あるいはあなたがたのなかの神が)愛すれば、神自身はそれで実現されるから、それ以上は何も必要がない。それはわかるだろう。
g 誰かを愛するのはいいのだが、相手からも愛が返ってきてほしいと思う。そう考える。 これは「情熱」ではない。「期待」である。 これが人間の不幸の最大の原因である。それが神と人間の違いである。
悟りとは、東洋の神秘主義者がサマディ( 三昧)と呼ぶ体験を通じて、この違いを克服しようとすることである。

a 純粋に「在る」とは、全宇宙に「在る」ということか 。不明である。
b ここでいう「愛」がわからない。いろいろなところで、「愛」をいうがその正体が不明である。
c 愛であることと、愛すること。わからない。愛自体が何を指すのかわからない。
d 神は自分が完全であることを知っている。それを体験したい。行動したい。そう思わせるエネルギーがここでいう情熱なのだと思う。
e 「やあ、こんにちは」の意味が不明。
f 全文の意味が不明である。
g 純粋に「愛」することと、見返りを期待しながら「愛」することの違いを克服することが悟り。といっているが、悟りはもっと範囲が大きい気がする。どうなんだろう。

黄色のハイライト | 位置: 1,983

 あなたは「抵抗すれば、相手はかえって強くなるが、見つめれば、相手は消える」とおっしゃいましたが、そのことを説明してもらえますか?

青色のハイライト | 位置: 1,988

目を開いて見つめれば、相手は消える。 相手は幻想という実体をさらけ出す。 あなたが何かを見つめれば──ほんとうに見つめれば──相手を見透かし、それが幻であると見抜くから、究極の現実以外は何も残らない。究極の現実の前には、小さな幻想など何の力もない。相手は弱くなった手であなたをとらえておくことができなくなる。あなたは相手の「真実」を見きわめ、それによって自由になる。

黄色のハイライト | 位置: 2,005
それでは欲望や自我を拒否するという生き方は、間違った道なんですね?

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,008
真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。 あなたは何かから離れることはできない。相手は地獄までもあなたについてくる。それならば、どんな誘惑にも抵抗しないことだ。ただ、そこから顔をそむけなさい。わたしのほうへ顔を向けなさい、わたしに似ていないすべてのものから顔をそむけなさい。

なるほど、禁酒禁煙なども同じことがいえる気がする。
飲酒禁煙を捨てるのではなく、選択しなければ、禁酒禁煙になる。そこから顔をそむければいいのだ。関心がそちらに行きそうになる時は、別のことを考え、関心をそちらに向ければいいのだ。

黄色のハイライト | 位置: 2,095
人生はとても恐ろしい。混乱しています。もっとものごとがはっきりしてくれれば、と思うんです。

青色のハイライト | 位置: 2,097
人生には恐ろしいことは何もない。あなたが結果に執着しなければ。
そのとおり。選びなさい。だが、欲しがるのはやめなさい。

結果に執着しない。というが、強く思えば叶う。ともいう。思うことは思いが成就した結果を想うはず。
結果に執着しない。と矛盾する気がする。

黄色のハイライト | 位置: 2,103
家族にああもこうもしてやりたいと思いながら、それができないのはつらいんです。良い家、ちゃんとした衣服、充分な食べ物。わたしは生活のためだけに、二〇年も苦労してきたような気がします。そして、いまだに見るべきものが何もないのです。

青色のハイライト | 位置: 2,143
「魂のゲームをしている」とはどういうことか、 はっきりさせよう。それは 精神と身体と魂をあげて、神の姿をかたどり、神に似せて自己を創出するプロセスに没頭することだ。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,160
あなたの人生の目的が安定だとしたら、あなたが「給料の小切手を一回もらえなければ救貧院行き」だと感じるのはよくわかる。
オレンジ色のハイライト | 位置: 2,162
わたしからの小切手なら、物質的な世界での安定感を含め、良いものがすべて手に入るから。
青色のハイライト | 位置: 2,195
配偶者があり、子供があったら! 午前三時におむつを替えなければならない赤ん坊に神性を見る。毎月一日に支払わなければならない請求書に神性を見る。配偶者を襲う病に、奪われた職に、子供の発熱に、親の苦痛に神の手を見る。それができたら、聖者だろう。
青色のハイライト | 位置: 2,197
あなたが疲れるのはよくわかる。苦闘にうんざりしているのもよくわかる。教えてあげよう。わたしに従えば、苦闘は終わる。神の場で暮らせば、すべての出来事が祝福になる。

いずれも。ウォルシュの質問に意味がある答えになってない気がする。精神論に終始している答えが有効なのかなあ。

黄色のハイライト | 位置: 2,199
でも、失業して、家賃を払わなければならず、子供は歯医者にかからなければならないとき、どうすれば神の場に着けるのですか。高貴で哲学的な場が、こうした問題を解決してくれるとはとても思えないんですが?

青色のハイライト | 位置: 2,208
いまこそ神の場に行くときだ。そこでまず大きな精神の平和が得られる。平和な精神からは良いアイデアがあふれ出す。そのアイデアで、あなたが抱えていると思っている問題が解決するかもしれない。
ピンク色のハイライト | 位置: 2,234
あなたの選択しだいで、実現できないことはない。
ピンク色のハイライト | 位置: 2,250
自分は選んだものをめったに得られないという考え、それも創造につながる思考だし、それを含めて、人生はつねにあなたの思考の結果だ。

高貴で哲学的な場が、こうした問題を解決してくれるとはとても思えないんですが?の問いに対して、高貴で哲学的な答えを返している気がする。空理空論?空理空論こそ解決の糸口なのかなあ。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,255
あなたの人生はあなたの意図するとおりに進んでいくのだよ。

こういう前向きの考えが大好きです。

黄色のハイライト | 位置: 2,261
それでも、どうしてわたしはいつも暗い考え方ばかり選ぶんでしょうか? 暗いほうを選んでは、自分を責めるんでしょうか?

オレンジ色のハイライト | 位置: 2,267
あなたがたは不完全な者としてこの世に生まれ出たと教えられている。あなたがたの宗教で言う原罪だ。たしかにそれは最初の罪だが、あなたがたの罪ではない。神が不完全なものを創造した、創造できたと考えているとすれば、それは神の何たるかを知らない世界があなたに対して犯した最初の罪だ。

聖書の現在に対する明確な否定の発言ですね。私も賛同します。

ピンク色のハイライト | 位置: 2,282
この本を何度も読み返せば、そんな教えから逃れられる。何度も、くり返して読みなさい。すべての文章が理解できるまで。すべての言葉を覚えるまで。誰かに本のなかの文章を聞かせられるようになるまで、暗く落ちこんだときに本のなかの文章が心に浮かんでくるようになるまで。そうすれば、「そんな教えから逃れる」ことができるだろう。

この本を何度も読み返すことが必要なのですね。ただ、抽象論が多く、継続して長時間読むのが苦しいです。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次