1章(要約)


「神との対話」(著者 ニール・ドナルド・ウォルシュ)kindle版を引用しながら、読んでいきます。

本文は話題が脈絡が無く展開されることが多く、わかりずらいので、要約します。

(注意)この枠はウォルシュの質問です

(注意)この枠は勇気づけられる神の答えの時に使います

(注意)この枠は本書の内容に納得がいかないときに使います

(注意)この枠は神の答えです

※文中の「黄色のハイライト | 位置: 189 」 など の意味は、kindleで黄色のマーカーを位置: 189に付けた。ことを示します。

これ以降、本文を読んでいきます。

1992年春、神との対話が始まった。
ウォルシュが被っている厳しい人生に対して、手紙形式にして神への不満をぶちまけると、自動書記のかたちで神からの返事が来た。

黄色のハイライト | 位置: 189
神はどんなふうに、誰に語りかけるのか。

・すべての人に語りかけている、聞く聞かないは本人次第
・神とのコミュニケーション方法
 最も多いのは感情を通じたコミュニケーション、感情は魂の言語。思考、経験も使う、最後に言語。
 言語は感情、思考、経験の代用
・神からのメッセージとそうでないものとを見分ける指針
 気高く、くもりがなく、偉大なものはすぐわかる、(それぞれに、喜び、真実、愛が含まれている。)


※(私感)
記載がわかりずらい。
結論として述べているのは、神が語りかける(コミュニケートする)方法は、
1.経験を使う 2.感情を使う 3.思考を使う 4.言葉を使う
ただ、この結論が、書かれる個所でバラバラにされている、
あるところでは、経験が抜け、感情が抜けとかで、わかりずらい。
神と会話をしているので、表現が話し言葉由来の曖昧さ、不安定さが出ているのか。
※本書では、神が使うコミュニケーション手段に「感情と思考のコミュニケーション」を挙げている。
 この場合、神が、ヒトの感情、思考に働きかけている。という意味なのだろうか。
 また、「経験のコミュニケーション」を使うとも言ってるが、意味が不明、経験にも神の影響があるのか

ピンク色のハイライト | 位置: 246
だけど、これがほんとうに神からのコミュニケーションだと、どうしてわかるのだろう? わたしの想像の産物かもしれないじゃないか?

・「あなたが自分で考えたのでは、こんなに明快に語れなかったと考えれば、これが神との対話であることがわかるはずだ。

との神からの答え。なるほど、

黄色のハイライト | 位置: 252
神は誰にコミュニケートしているのだろう? 特別なひとたちがいるのだろうか? 特別な時があるのだろうか?

・「すべてのひとは特別であり、すべての時は黄金である。ほかよりも特別なひと、特別な時というものはない。」

との神の答え。納得です。

※私感
“”全ての人が、メッセージを受け取れるのに、そうしない理由は「自分に責任が生ずる」から受け取ったという他の人(イエスなど)の言う通りにする。””と述べてるが、納得できない。単に、能力的に段階的に受け取れないだけではないだろか。

黄色のハイライト | 位置: 266
一部の、たとえばキリストのようなひとたちは、どうしてほかのひとたちよりも
あなたとコミュニケーションがとれたのでしょう?

・「本当に耳を傾けようという意思をもっているからだ」

ふむ、その意志を持てば誰にでも神のことばがきこえてくるのかなあ

黄色のハイライト | 位置: 270
間違っているように思われても、神の言うことに耳を傾けるべきだと言うのですか?

・「間違っていると思うときには、とくに耳を傾けるべきだ。何でも自分が正しいと思っていたら、どうして神と語る必要があるのか。」

フム

黄色のハイライト | 位置: 290
 それでは、何が権威ある根拠なのですか?(僧職者、聖書以外に)

自分の 感情 に耳をすますことだ。自分の最高の考えに耳を傾けなさい。自分の経験に耳を傾けなさい。

フム

黄色のハイライト | 位置: 296
どうしてあなたは姿を現さないのですか。あなたがほんとうに神なら、どうしてわたしたちみんなが理解できる方法で現れてくださらないのです

・「ひとは、「見えないもの」 ではなく、見たものをわたしだと信じる。しかし、わたしは偉大なる「見えざるもの」 であって、ある瞬間のかたちや姿ではない。」

フム、納得

・「ある意味では、わたしではないものもすべてわたしなのだ。わたしは「わたしではない」 ところからやってきたのだし、つねにそこへ戻っていく。」

この言い回しがわかりずらくしている、持って回った言い方で不思議さを演出し、神秘性を高めようとするのか、邪心を感じる。後述されるように聖なる二分法の考えでは、前半は納得できるが、「わたしは「わたしではない」 ところからやってきたのだ”」は、意味不明。
わたしは、「ここにあるもの、霊(ヒト)、無、」の3要素で全てである。「わたしではないところ」は無いはず。なのに、「わたしは「わたしではない」 ところからやってきたのだ」とは、意味不明。

・「神は外からわかるかたちで、あるいは外界の現象を通じて出現するのではなく、そのひとの内的体験を通じて姿を現すのだから。内的体験を通じて現れるなら、外から見える姿は必要ない。」

フムフム、納得です。

黄色のハイライト | 位置: 330
それでは、欲しいものを求めることはできないのですか? 何かを祈るということは、 じつはそれを遠ざけることになるのですか?

・「あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることもできない。求めるというのは、自分にはないと言いきることであり、欲すると言えば、まさにそのこと──欲すること──を現実に体験することになる。 したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。 現実に体験したいと考えることを前もって神に感謝するというのは、願いはかなうと認めることだ……。感謝とは神を信頼することだ。求めるより前に神が応えてくれると認めることだから。」


納得です。

黄色のハイライト | 位置: 340
でも、何かについて前もって神に感謝したのに、それが実現しなかったら? きっと幻滅し、腹が立ちますよ。

黄色のハイライト | 位置: 346
 だが、どうして、 そこにないとわかっていること に心から感謝できるのですか?

黄色のハイライト | 位置: 351
しかし、祈りがかなえられなかったというひとは、おおぜいいます。

信念だ。けし粒ほどの信念があれば、山を動かすことができる。わたしがあると言えばあることがわかるだろう。
つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことがかなう可能性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」というのは、「望みはかなっていない」という思いだから。 そちらのほうが現実になるのだ。 支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いよりももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信念、それだけだ。その信念をもっているひともいるが、非常に少ない。 神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、 そもそも求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのではなく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。

本書の通り、下記しくみを納得し、信念があれば、思いは実現できると思う。
1.思いは既に実現している。何故なら、思うことで、瞬間的に宇宙は動くから。
2.上記仕組みに感謝。

黄色のハイライト | 位置: 364
祈りとは、望みがかなっていることを感謝することだとしたら、神は何もしないのですか? 祈りのあとで起こることはすべて、祈りという行為のおかげなのですか?

本書での神様からの答えは
・神は個別の祈りを聞いて「イエス・ノー」をいうものではない
・神は観察者であって創造者ではない
・神は人は自由に人生を過ごせるようにした
・神は人のプロセスには無関心、結果には深い関心をもつ
・人は、神により究極の結果が決まっているのに、人生の結果が不確かと思うから不安が出て、神に反する悪を作り出す(管理者:論理的に不明だな、、)
・神により究極の結果が決まっていることを悟っているものは聖人であり、聖人は愛され、後に嫉妬され、殺され、後に愛される(管理者:これにより、何を言いたいのか不明、、)
・人は愛し、破壊し、愛す、もの

この質問の意図は「望みがかなうこと、に対する神の影響度はいかほどか」「自分の祈りで望みが叶うなら神は何もやってないのではないか」、ということです。私なら下記のように答えます。
・「すでに望みはかなっている、ありがとうございます、感謝感謝」により望みが叶う仕組みにしたのは神様である。神様の影響度は100%である。

しかし、本書ではウォルシュの質問に対し、神様からの答えが的をはずしている。話し言葉だから話の流れが不安定なんだろうか。
だから、読後感がイマイチむねやけするカンジで全体像のすっきり感が薄くなる。
上記のように、答えが愛、嫉妬などへ流れ、発散してしまう。発散後の答えに対して、ウォルシュさんが新たな質問を発するから、発散しっぱなし、、だから、とりとめがない、まとまった気がしない。全体的には、いっていることは素晴らしいから、痛ましい。

黄色のハイライト | 位置: 417
 しかし、なぜなのですか? どうして、わたしたちはそんなことをするのですか?
(愛ー破壊ー愛の流れの事)


青色のハイライト | 位置: 418
人間の行動には二つの動機しかない。 不安か、愛か。

ピンク色のハイライト | 位置: 456
あなたがたは、無条件に愛されるというのはどんなことかを忘れている。

青色のハイライト | 位置: 428
ひとが愛し、つぎに破壊し、そしてまた愛するのはそのため
つねに、一方の感情から他方の感情へとゆれ動くからだ。

青色のハイライト | 位置: 431
神の愛を頼れない。神が条件つきであなたがたを受け入れると思う。究極の結果が不確かだと思う。

青色のハイライト | 位置: 450
愛は条件つきだと教えたのは親だ。(管理者:親ではなく、聖書の黙示録の最後の審判としてヒトの選別が記載されているのが大きな原因だとおもう)

よく分からない箇所である。

黄色のハイライト | 位置: 488
簡単なことのようにおっしゃいますが、決断しようとすると不安が勝ってしまうほうが多いですよね。それはなぜなのですか?

オレンジ色のハイライト | 位置: 493
子供のころからずっと、劣った者が負けると言い聞かされてきたためだ。
ピンク色のハイライト | 位置: 497
いちばん偉大な教師は外にいる者ではなく、あなたがたの心の声である。
黄色のハイライト | 位置: 501
あなたがたの心の声は、わたしのいちばん大きな声だ。なぜなら、あなたがたにいちばん身近な声だから。心の声は、すべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。それに従う気になりさえすれば、針路を決めるレーダー、船の 舵、旅の道案内となる。 その声はたったいまも、あなたが読んでいるこの言葉が、愛の言葉か不安の言葉かを教えてくれるはずだ。この物差しを使えば、従うべき言葉か無視すべき言葉かわかるだろう。

自分の心の声とは、自分の感情の事だろう。ここで述べていることは、確かに、そう思う。

黄色のハイライト | 位置: 507
愛に支えられた行動をとれば、自分はほんとうは何者か、何者になりえるのかという、栄光に包まれた経験ができるとおっしゃいました。そのことを、もう少し詳しく説明してくれますか?

青色のハイライト | 位置: 509
あらゆる生命の目的はひとつしかない。
あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できる限りの栄光を体験する、ということだ。
話し たり、 考え たり、 行動 し たり する のも みな、 この 目的 の ため だ。

「すべての目的は、できる限りの栄光を体験する」と、最重要なことを述べているが、意味が分からない。
「栄光」とは何なんだろう。下記原著を探ってみる。

<本書和訳>
愛に支えられた行動をとれば、自分はほんとうは何者か、何者になりえるのかという、栄光に包まれた経験ができるとおっしゃいました。そのことを、もう少し詳しく説明してくれますか?
<原英文>
黄色のハイライト | ページ: 20
You said that when I always choose the action that love sponsors, then I will experience the full glory of who I am and who I can be. Will you expand on this please?

I will experience the full glory    :栄光を体験する
glory of who I am and who I can be :(of以降、栄光の説明をしている)。
                栄光とは「私が何者なのか、何を成し遂げられるのかを知ること」のこと。
つまり、
「栄光」とは「who I am and who I can be(私が何者なのか、何を成し遂げられるのか)」を知ること、身に着くこと、つまり、神と同等の存在と認識し、そうなること。
 gloryは、大満足、の訳でもいいのではないかなあ
<管理者和訳>
私がいつも愛を伴った行動を選択すると、私は私が誰なのか、そして、私が何を成し遂げられる者なのかが分り、大満足するだろうと、あなたは言いました。このことについて、もっと説明していただけますか?


<和訳>
あらゆる生命の目的はひとつしかない。
あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できる限りの栄光を体験する、ということだ。

<原英文>
ピンク色のハイライト | ページ: 20
There is only one purpose for all of life, and that is for you and all that lives to experience fullest glory.
Everything else you say, think, or do is attendant to that function.
 Everything else:すべて attendant :付き添う
 「that function」とは、「glory」を構成するしくみ。そのしくみを得ること。
 しくみ:自分は神であることの認識、できないことはないことの認識、常に喜びに満ち溢れていることの認識
<管理者和訳>
あらゆる生命の目的はひとつしかない。
あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、完全な満足を体験する、ということだ。
あなたが言ったり、考えたり、行動するすべてのことは、そのしくみ(自分は神であることの認識、できないことはないことの認識、常に喜びに満ち溢れていることの認識)にもとづいて、なされる。

黄色のハイライト | 位置: 518
人生とは学校のようなものだ、何かを学ばなくてはいけない、ここを「卒業」すれば、肉体という かせ にしばられずにもっと大きな目的を追求できる、そう言うひとがいます。この考えは正しいのですか?

黄色のハイライト | 位置: 523
 それでは、何のためにこの世に生きているのですか?

黄色のハイライト | 位置: 527
ちょっと待ってください、わからなくなりました。人生は学校かというところまで戻りましょう。おおぜいの教師に、人生は学校だと聞かされてきました。それを否定されたのですから、正直に言うとショックです。

人生とは、 概念として知っていることを体験的に知る機会 だ。
何も学ぶ必要はない。 すでに知っていることを思い出し、 それにもとづいて行動 すればいい。

(管理者本文まとめ)
・神はじぶんのすばらしさを概念として知っているが、体験として知りたい。
・知るとは、相対的環境があって成り立つもの。
・他があって、自分を知ることができる。
・存在全ての神の一部を分裂させて、霊としてのひとを物質宇宙に送り込んで、概念としての知を、体験の知にする。

(管理者感想)
根本的なことを述べているのだろうが、論理の整合性を理解しようとすると、困難を感じる。
こんなにわからない文章はあまりない。5日間くらい費やしている。
ウォルシュさんも、多くの読者もこの部分は分からないのではなかろうか。
分らない理由を分析してみました。

■主題が2つ混在しながら文章が進む。
「存在するすべて」としての神を体験したい。と、「存在するすべて」としての神の「すばらしさ」を体験したい。と、2ついっている。
2つは同じものか、どうなのか、不明。
また、「すばらしさ」体験のための対極「すばらしくない」の創造、詳細は述べられなく「すばらしさ」体験の方法が不明のままに思う。
■「存在するすべて」としての神を体験する方法が別物で2回述べられている。
最初は、「存在するすべて」が分裂して部分が創造され、その部分が残りの全体を振り返れば「すばらしさ」を知ることができる。と述べ、
2回目は、その部分をもっと分裂させ、もっと細分化し、それを物質宇宙に入り込ませることにより体験的に「すばらしさ」を知る。と述べている。
■空間の関連性が不明である。
「存在するすべて」「存在するすべてから分裂した部分」「宇宙」「宇宙を分割」「全てが飛びだしたというなにものでもないもの」
以上の関連が不明である。
■物質宇宙に入った霊が、自分は神であることを忘れ、それを思い出す方法が不明。
すでに知っていることを思い出し、 それにもとづいて行動 すればいい。ということは、自分の感情に素直に従って行動すれば、神である自分を思い出して行動することになる、といってるのか?
過去、ほとんどの人が思い出さずに人生を終えていってる。ことを考えると、輪廻転生のうちに、いつか神である自分を思い出して行動できるようになるということなのだろうか。

以上が相まって、理解を困難にさせている。
ここの部分は重要だが理解が難しい。重要なので、もっと分り易く表現すべきだと思う。
他の読者は理解しているのだろうか。後日、再挑戦です。

黄色のハイライト | 位置: 673
知りたいことはたくさんあります。ありすぎるくらいです。それで、大きなわかりやすい質問から始めたいと思います。たとえば、なぜ世界はこんな状態なのか?

下記、関連する文章を本文から参照しました。これをもとに、なぜ、本書が読みづらいかを検証していきます。
 太黒字:災厄が起こる原因への質問 赤:答え関連 青:無関係文章 緑:無関係文章(災厄への対処方法)

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青色のハイライト | 位置: 677
ふつうはこんな問われ方をしてきた。神が完璧であって、完全なる愛であるなら、どうして神は伝染病や 飢餓、戦争、病気、地震や竜巻、ハリケーンといった天災、深い失望、世界的な災厄などを創ったのか。

この質問に対する答えは、宇宙のさらに奥深い神秘と人生のさらに高い意味のなかにある。

わたしは神のすばらしさを示すために、あなたがたのまわりを完全ずくめにしたりはしない。神の愛を実証するために、人間が愛を実証する余地をなくしたりはしない。 すでに説明したように、愛を示すには、まず愛さないということが可能でなければならない。完全無欠の絶対世界はべつとして、それ以外では対極の存在なしには何も存在しえない。


絶対の領域だけでは、あなたがたも、わたしも満足できなかった。わたしはつねにそこに存在していたし、あなたがたもその世界からやってきたのだ。 絶対のなかでは知識があるだけで、体験はない。

知っているというのは神聖な状態だが、最大の喜びは、何者かで「在る」ということのなかにある。「在る」ことは、体験してのちにはじめて達成される。「知る」こと、「体験する」こと、何者かで「在る」ことの順に発達し、進化する。これが聖なる
三位一体、神の三位一体である。 父なる神とは、「知る」ことだ。すべての理解の親であり、すべての体験はそこから生まれる。知らないことは体験できない。 息子である神は、「体験」だ。父が自らについて知っていることを体現し、行動化する。体験しなければ、何者かで「在る」ことはできない。 聖霊としての神は「在る」ことだ。息子が体験したすべてを超越して、ただ存在する。単純に、このうえなくみごとに「在る」ということは、知ったこと、体験したことの記憶を通じてのみ可能になる。 単純に「在る」ということは至福である。神の状態、自らを知り、体験したあとの状態だ。これこそ、神がはじめから求めていたものである。 もちろん、父と息子という説明が性別とは何の関係もないことは、説明しなくてもわかっているだろう。たまたま、あなたがたのいちばん新しい書物にあるわかりやすい表現を使ったまでだ。もっと以前の聖なる書物では、母と娘という 比喩 が使われていた。どちらも正確ではなく、言うならば親と子というのがいちばんあたっている。あるいは、「生じさせるもの」と「生じるもの」という言い方が。 三位一体の第三の部分をつけ加えると、この関係ができあがる。

生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。 この三位一体の在り方が、神のしるしであり、聖なるパターンだ。三つでひとつ、それは崇高な領域のどこにでも見られる。時と空間、神と意識、微妙な関係はすべて、このかたちから逃れられない。 人生の微妙な関係を扱う者は、誰でもそのなかに三位一体の真実を認める。 宗教家の一部は、三位一体の真実を父と子と聖霊と表現してきた。心理学者の一部は超意識、意識、潜在意識という言葉を使った。霊を扱うひとびとは精神と身体と霊魂と言う。科学者の一部はエネルギーと物質とエーテルと考える。哲学者の一部は、ものごとは思考と言葉と行為において真実になるまでは、真実とは言えないと語る。時について議論するときには、過去、現在、未来の三つの時制しかない。同じく、概念的にも時は、以前、現在、以後の三つに分かれる。空間的な関係は、それが宇宙における一点を考えるにしても、自分の部屋の各地点を考えるにしても、ここ、あそこ、そしてその間と考えるだろう。…
ところが、素朴な関係においては、「その間」という認識はない。
素朴な関係は必ず二元的であるのに、崇高な領域の関係は必ず三元的だからである。左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女。これらの二者には、その間というものはない。一方か他方のどちらか、あるいはこうした二極的関係のなかで大きい、小さいの違いがあるだけである。 素朴な関係のなかでは、必ず対極が存在する。正反対のものが必ずある。日常の体験のほとんどはこちらにあてはまる。

崇高な領域の関係では、対極というものはない。すべてはひとつであり、一方から他方へと変転して終わりのない循環をくり返している。 時間もそうした崇高な領域で、あなたがたが過去、現在、未来と呼ぶものはひとつの全体のなかに存在している。つまり 対極 ではなく、同じ全体の部分なのだ。同じ思考の進行、同じエネルギーの循環、同じ変わることのない真実の各側面である。したがって、過去と現在と未来は同じひとつの「時」に存在すると考えれば、それは正しい(だが、いまはそれについて議論するのはやめておこう。いずれ、時という概念についてとりあげるとき、もっと詳しく考えることにする)。

世界がいまの状態なのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。生死の循環はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。生命それ自体がリズムだからだ。それは波であり振動であり、「存在のすべて」の鼓動だ。

病や不調は健康と快調の対極であり、あなたがたの要請に応じて現実になる。どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にはならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。個人的な深い失望も自分で選んだものだし、世界的な災厄は世界的な意識の結果である。

あなたの質問は、わたしがそういう出来事を選んだのではないか、災いが起こるのは神の意志であり、望みなのではないかということだろう。だが、わたしがこうした出来事を起こさせるのではない。 わたしは、見ているだけだ。止めようとはしない。止めれば、 あなたがたの意思を損なうことになる。 そんなことをすれば、あなたがたが神の体験をするのを妨げることになり、あなたがたとわたしがともに選んだ体験ができなくなる。

だから、 世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。それよりも、それのどこを悪と判断するのか、どこを変えたいのかと自問しなさい。 外に向かってではなく、内に向かって、「この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかけなさい。人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。 これがすべての魂にとっての真実だ。

宇宙には創造者がいるだけで被害者はいない。この地球上に現れた〈マスター〉(大いなる師)はすべて、そのことを知っていた。だから、どの〈マスター〉を見ても、自らを被害者とは考えていない。多くの〈マスター〉が迫害されているが。 それぞれの魂は〈マスター〉である。ただ、本来の自分や受け継いだ遺産を思い出せない者もいる。それでも、それぞれが自分の高い目的のために、そしてできるだけ早く真実の自分を思い出すために、状況と環境を創造しつづける。「いま」と呼ばれる一瞬一瞬に。

あなたがたは他者が歩む 因果 の道を、良いとか悪いとか判断してはならない。成功をうらやまず、失敗を 憐れむな。魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない。 ものごとを災難とか、喜ばしい出来事とか言うのは、それをどう活用するかを決めてから、あるいは見届けてからにしなさい。

ひとつの死が数千の生命を救うなら、それは災いだろうか。悲しいことばかり続いたら、良い人生だろうか。しかも、それすらも決めつけるべではなく、ただ自分の胸の内で考えるだけにして、ひとのことは当人にまかせておきなさい。

だからといって、助けを求める声や、環境や条件を変える努力をしようという自らの魂の呼びかけを無視しなさいというのではない。ただ、何をするにしても、レッテルを 貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい。それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから。

──かつて、自らが光であることを知っている魂があった。これは新しい魂だったから、体験したくてならなかった。「わたしは光だ」とそれは言った。「わたしは光だ」。だが、いくら知っていても、いくら口に出してみても、体験に変えることはできない。この魂が生まれた領域では、光しかなかった。どの魂も偉大で、どの魂もすばらしく、どの魂もわたしの神々しい光を受けて輝いていた。そこでは、その小さな魂は、まるで太陽の前のロウソクのようだった。偉大な光のなかでは、その光の一部である魂は自らを見ることができないし、自分が何者であるかも体験できない。 その魂は自分自身を知りたくて知りたくてたまらなくなった。あまりに知りたがるので、ある日、わたしは言った。 「小さいものよ、その望みをかなえるにはどうすればいいか、わかるか?」 「どうすればいいのですか、神さま? わたしは何でもします!」、小さな魂は答えた。 「おまえはわたしたちから離れなければならない」とわたしは言った。「そうして、闇を求めなければならない」。 「闇というのは何ですか、聖なるかた?」と小さな魂はたずねた。
「それは、おまえではないものだ」とわたしは答え、その魂は理解した。 そこで、その魂は全体から離れ、べつの領域に行った。その領域では、魂はあらゆる闇を体験する力をもっていた。そして、闇を体験した。 その闇のさなかで、魂は叫んだ。「父よ、父よ、どうして、あなたはわたしを見捨てたのですか?」。

たとえば、あなたがたが暗闇にいるときのように。だが、わたしは一度もあなたがたを見捨てたことはない。つねにそばにいて、ほんとうは何者であるかを思い出させようとしているし、いつも、わが家に呼び戻そうとしている。 だから、闇のなかの光になりなさい。そして、闇のなかにいることを 呪ってはいけない。また、まわりが自分と違うものばかりでも、自分が何者であるかを忘れてはいけない。

そして創造物をほめたたえなさい。たとえ、それを変えたいと思っても。 最も大きな試練が、最も偉大な勝利になる可能性がある。あなたが生み出す体験は、自分が何者であるか、そして何者になりたいかという宣言なのだから。

小さな魂と太陽のたとえ話をしたのは、どうしていまのような世界になったのかを理解させるため、そして、誰もが現実の奥に秘められた神聖な真理を思い出せば、その瞬間に世界は変わりうることを、もっとよく理解させるためだ。

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本文を、太黒字:災厄が起こる原因への質問 赤:答え関連 青:無関係文章 緑:無関係文章(災厄への対処方法)に分けたように、問いかけへの答え以外の文章が多すぎるので、読んでも理解しづらい。
また、災厄が起きる原因の結論が①②のように、異なったものが2つ登場する。どっちなの?ってことになる。
(①は「存在のすべて」の鼓動だといい、②は「世界的な意識の結果」となっている。)

神様の発言が原因か、ウォルシュさんの聞き方、表現の仕方が稚拙なのか、、。
本書の内容は価値があると思うからこそ、このようなマイナスの側面を解消していきたいものです。

(以下、関連した思索)
三位一体って何だ?
神としての父、神としての子、神としての精霊
電磁波は粒子、波の2つの性質を有す、と同じ概念か、
「父」は、この世界を創造、今も維持
「子」は、人としてこの世に生まれたイエスのこと
「聖霊」は、聖書に出てくる「父」「子」以外の神
か?
三位一体は神学論争の末に生まれた不毛の結論か?
三位一体はユダヤ教、イスラム教には出てこない。
三位一体と、知る、体験、ある、とどのように関連するのか、わからない、

ウォルシュは、キリスト教をベースにした思想をもつから、それに影響されているのか、
ウオルシュの考えと、神の考えが混在されているのか
よくわからない、とりあえず、読み進めよう

■三位一体の例
・生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。
・三位一体の在り方が、神のしるしであり、聖なるパターンだ。三つでひとつ、それは崇高な領域のどこにでも見られる。
・心理学者の一部は超意識、意識、潜在意識という言葉を使った。
・霊を扱うひとびとは精神と身体と霊魂と言う。
・科学者の一部はエネルギーと物質とエーテルと考える。
・哲学者の一部は、ものごとは思考と言葉と行為において真実になるまでは、真実とは言えないと語る。
・時について議論するときには、過去、現在、未来の三つの時制しかない。
・空間的な関係は、それが宇宙における一点を考えるにしても、自分の部屋の各地点を考えるにしても、ここ、あそこ、そしてその間と考えるだろう。
・崇高な領域の関係では、対極というものはない。すべてはひとつであり、一方から他方へと変転して終わりのない循環をくり返している。

ここに共通点があるのか
「生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。」が共通概念か、
しかし、過去、現在、未来、がこの概念に当てはまるとは思えない。
単純に、対象が三分割できるか否かで、崇高なものか否かを決めているのか
崇高なものの定義が曖昧に思える。

■素朴な関係はつねに二元的である、の例
・素朴な関係においては、「その間」という認識はない
・左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女
・一方か他方のどちらか、あるいはこうした二極的関係のなかで大きい、小さいの違いがあるだけである。
・素朴な関係のなかでは、必ず対極が存在する。正反対のものが必ずある。日常の体験のほとんどはこちらにあてはまる。

「素朴な関係はつねに二元的である」という説は正しくないように思う
「左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女」には、その間、というのはあるし、それは、アナログ的に言うと無限にある。
ウオルシュは何を言いたいのか、二元的、三元的、の概念で、世界が分類したいのだろうか。
自然災害が、素朴なレベルで生じる、と言いたいための説明なのか、

吉本隆明が世界のを、個人幻想、対幻想、共同幻想、の3つの構造で解明しようとしている。
個人幻想:一人の世界 対幻想:二人の世界 共同幻想:三人以上の世界
世界の基本単位はこの3つの構造で成り立つ、
「共同幻想:三人(三つ)以上の世界」が、全ての関係性を含む状況である。それを意味して、崇高な世界と言っているのか。
二元、三元、の定義が曖昧なので、何を言いたいのかわからなくなる。

■「過去と現在と未来は同じひとつの「時」に存在すると考えれば、それは正しい」とのべているが
上記の概念は、アインシュタインの一般相対性理論が述べていることである。
しかしながら、上記の考えは離れた二人の関係性でそう言えることもあるのであり、個人の世界で3時制が同時に存在するのではない。個人の世界では、エントロピー増大の法則を感知することにより、3時制を感知するのである。(参考「宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体」 著者 ブライアン・グリーン)
https://youtu.be/gMaopbzUs3o?si=zzPaSjUhjxEPg3UV
3時制が同時に存在する、という言い方は、奇をてらっているように思う。

■現在の世界の自然災害についての答え
・世界がいまの状態なのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。生死の循環はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。

物質的な崇高な世界になれば、自然災害は起きないのか、それはどうすればいいのか

■「世界的な災厄は世界的な意識の結果である。」

なぜ世界はこんな状態なのか?に対し答えていないように思える。
ひとつの問いに対し、答えが分らないように(ごまかしながら)、答えている気がしてならない。
論理が一貫してないから、途方に暮れる、分かったようで、結局わからない。

結論は、
「様々な出来事がおこる理由は、それに対峙して行動することにより、神への道へと向かうことにある」
的なことを言っていると思う。
本書の初めの部分で、こんなに難解なテーマをもってこなくていいのではなかろうか。本書の後半に移動すべきと思う。

黄色のハイライト | 位置: 777
 それでは、わたしたちの身に悪いことが起こるのは、自分が選んだからなのですか? 世界の災厄や災害も、どこかのレベルでは、「真のわたしたちとは正反対の在り方を体験する」ことができるようにと、自分が創り出したものだとおっしゃるのですか? そうだとすれば、自分を体験する機会を創造するのに、誰にとっても、もっと苦痛の少ない方法はないのでしょう

自然災害は自分たちが起こしているわけではない。
それ以外の不幸な出来事は、集団意識として自分たちが起こしている。
その不幸な出来事に、自分も責任があると考えるべきである。集団の一人として。
不幸な出来事をどう意識するかで、不幸か、そうでないかが決まる。
どう対応するかで、自分を神として創造することになる。

こんなことを言っているのではないかな。


元気がでることば
ピンク色のハイライト | 位置: 786
あなたがたは大きな創造の機械であって、考えるのと同じ速さで新しいことを出現させている
ピンク色のハイライト | 位置: 801
何ごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。個人として責任があると思えなければ、わたしたちはすべて一体であるという理解を通じて、認めなさい。それから、間違っているからではなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしなさい。 何かをする理由は、ひとつしかない。宇宙に向かって、自分が何者であるかを示すことである。 そうすれば、人生は自己の創造になる。あなたがたは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造する。


ただし、矛盾していることも言っているので、相変わらず、迷わされる。
青色のハイライト | 位置: 820
宇宙では、どう考えてもあなたがたが引き起こしたとか、創造したとか言えないことも起こっている。 これらの出来事は、人間の意識の集積によって創造される。全世界が共同してこれらの経験を生じさせている。


黄色のハイライト | 位置: 840
 それでは、アフリカで子供たちが飢え、アメリカでは暴力や不正がはびこり、ブラジルでは地震でおおぜいのひとが死んでいることを、悪と感じるなとおっしゃるのですか?

なぜ 起こる か、 何 の ため に 起こる か、 あなた がた には 理解 でき ない の だ から。
真 の 自分 の 姿 を 反映 し なく なっ た こと が ら を 変える よう に ─

いい、悪い、ということは存在しない。その出来事は、自分が神としてふるまうためのものでしかない。と言ってると思われる。

黄色のハイライト | 位置: 856
でも、正邪、善悪、すべきことと、してはならないことを教えてくれたひとたちはみんな、それがあなたに、つまり神によって定められた規則だと言いましたよ。

ピンク色のハイライト | 位置: 858
わたしは正邪も善悪も決めたことはない。そんなことをしたら、あなたがたへの最高の贈り物がだいなしになる。したいことをして、その結果を体験するという機会をあなたがたから奪うことになる。自らを真の自分のイメージになぞらえて創造しなおす機会を奪うことになる。偉大な考えをもとに、よりすぐれた自分を創り出す能力を発揮する場所を奪うことになる。

「偉大な考えをもとに、よりすぐれた自分を創り出す能力を発揮する場所を奪うことになる。」という考えが常に出てくる。本書が主張する重要なことだと思う。

黄色のハイライト | 位置: 867
 それに関連して、もうひとつ、べつのことについてうかがいたいのですが。天国と地獄についてです。ここで聞いたことから考えると、天国も地獄もないのでしょうか。
黄色のハイライト | 位置: 871
地獄とは何ですか?

黄色のハイライト | 位置: 876
本来の姿にくらべて卑小な在り方。それが地獄であり、あなたがたの魂にとって、それよりもつらいことはない。
不幸で、不完全で、欠点が多く、神の偉大な喜びから遠く離れた魂の経験というものはある。
あなたがた自身が、真の自分ではなくなるとき、自分で地獄の体験を創り出す。ほんとうの自分を拒否するたびに、あなたがたは地獄の体験を創り出す。

黄色のハイライト | 位置: 894
でも、地獄がないのなら、わたしはしたいようにできる、
報いを恐れずに何でもできるということですか

自分がどれだけ善良であったかを決めるのは、自分自身だ。あなたがほんとうは何者であるか、そして何者になりたいかを決めるのは、あなただ。そして、どこまで目的を果たせたかを決めるのも、あなただ。
あなたがたの目には罰と見えるもの、あるいは悪とか不運と思われるもの、それは自然の法則の結果でしかない。

黄色のハイライト | 位置: 913
それでは、その法則に従えば、わたしはもう困ったことにはならずにすむのですか。そういうことをおっしゃっているのですか?

どんな状況でも、それを問題だとは考えなくなるだろう。恐れおののくような状況にはぶつからないだろう。すべての心配や疑い、不安に終止符が打たれるだろう。あなたは空想のなかのアダムとイヴのように暮らすだろう。絶対の領域で身体から切り放された霊としてではなく、相対的な領域で身体をもった霊として暮らすだろう。それでもあなたはあらゆる自由と喜びと平和を味わい、いずれ霊としての智恵と理解と力が備わるだろう。充分に自分らしさを実現して生きられるだろう。 それがあなたがたの魂の目標である。身体をもっているあいだに、自分らしさを充分に実現すること、真の自分にふさわしい存在になること、それが目的である。 それが、わたしの計画、わたしの理想なのだ。わたしは、あなたがたを通じて自分を実現しなければならない。それによって、概念が体験となり、わたしは自己を体験的に知る。

これは素晴らしい考え方ダ

黄色のハイライト | 位置: 933
それでは、どうすれば自然の法則を知ることができるのですか。どうすれば、学べるのですか?
どうすれば、思い出せるんですか?

ピンク色のハイライト | 位置: 936
まず、静かにすることだ。外の世界を静かにさせて、内側の世界が見えてくるようにしなさい。この内側を見る力、洞察力こそあなたが求めるものだが、外部の現実に心をわずらわせていては決して得られない。だから、できるだけ内側へと入っていきなさい。
「内側へ入っていかなければ、わたしはからっぽで出ていかなければならない」
あなたはどんなふうにでもなれる。できないこともないし、手に入れられないものもない。

黄色のハイライト | 位置: 945
それは現実にしてはすばらしすぎる約束のように思えますが。

神を信じれば、神の最大の贈り物である無条件の愛と、神の最大の約束である無限の可能性が信じられる。

神を信ずるには、本書を読んで、内容を納得してからであろう、この時点では半信半疑の状態であろう

黄色のハイライト | 位置: 953
ちょっと、口をはさんでもいいですか? 神さまの話のじゃまはしたくないのですが……。でも、前にもその無限の可能性については聞いたことがあるけれど、人間の経験とは合致しないんです。平均的な人間がぶつかる困難はさておいても、知的、肉体的に制約をもって生まれてきたひとたちに課されるチャレンジはどうなんでしょうか。ハンディのあるひとたちにも無限の可能性があるんですか?

ピンク色のハイライト | 位置: 969
経験を創り出すためのひとや場所、出来事は選ばれ、条件や環境、そしてチャレンジや障害、機会と選択肢も選ばれている。パレットの色、道具箱のなかの道具、作業場の機械は選ばれているのだ。それで何を創るかは、あなたがたの仕事だ。それが人生というものだ。 魂が何を選んでも、あなたがたには限りない可能性が開けている。あなたがたが限られたものと呼ぶ肉体に宿る魂にはどんなことも可能だ。

ハンディキャップをもつ方々には朗報の考え方である。スバラシイと思う。故に神様の考えか。

黄色のハイライト | 位置: 978
でも、イエスだって病むひとを癒しました。そのひとたちの条件がそれほどに「完璧」なら、どうして、イエスは癒したのですか?

イエスは、そのひとたちの条件が完璧でないと思ったから癒したのではない。そのひとたちの魂がプロセスの一環として癒されることを求めていると気づいたから、癒したのだ。彼はプロセスの完璧さを見抜いていた。魂の意図を見抜き、理解していた。精神的、肉体的な病人のすべてが完璧さに欠けると考えていたなら、イエスは地上のすべての病人を一度に癒したはずではないか? イエスにそれができたかどうか、疑うのか?
どうしてキリストは、ある者を苦しませておいて、ある者を癒すことを選んだか? そもそも、神はなぜ苦しみを放置しておくのか? その疑問は昔からあるし、答えはいつも同じだ。完璧だというのはプロセスのことであり、すべての人生は選択されたものだ。その選択に介入したり、疑問をもったりするべきではない。まして、非難するべきではない。
それぞれの魂に、それぞれの道を自由に歩ませなさい。

鋭い質問だと思う。ウォルシュと神様が本当に対話しているかのような臨場感がある。

黄色のハイライト | 位置: 1,011
それでは、 明日、問題がなくなれば、神もいらなくなる んですね!

青色のハイライト | 位置: 1,013
創造を通じて存在するわたしたちすべてにとって、もう創造することがなくなる。ゲームは続いたほうがいいのだ。
すべての問題を解決したいと言っても、すべての問題が解決してなくなればいいとは思わないだろう。そうしたら、何もすることがなくなってしまう。

神がウォルシュに正反対のことを言って、けしかけているんだろう

黄色のハイライト | 位置: 1,028
それでは、世界にはいつまでも問題があるだろうとおっしゃるのですか? いつまでも問題があることのほうを、 あなたは望んでいるのですか?

あなたがたが、そういう世界を創り出したのだ。自分の人生を創り出したように。 わたしが望むのは、あなたが望むことだ。あなたがたがほんとうに飢餓を終わらせたいと思った日に、飢餓はなくなるだろう。そうするための力はすべて与えてある。その選択をするための道具を、あなたがたはすべてもっている。だが、そうしなかった。できないからしないのではない。世界は明日にでも飢餓を終わらせることができる。あなたがたが、その選択をしないのだ。
あなたがた自身の人生がいまのようになったのは、あなたがたのせい、あなたがたが何かを選択した、あるいは選択しなかったせいだ。

ウォルシュと神様が本当に対話しているかのような臨場感がある。そして、読むものは感激して、正しき行動をしようと思ってしまう。神の言葉か。

黄色のハイライト | 位置: 1,059
でも、わたしはあのトラックにひかれることを選んだのではない! あの強盗に襲われることを選んだのではない、あの精神異常者に 強姦 されることを選んだのではない。ひとはそう言うでしょう。そう言えるひとが、世の中にはたしかにいるんです。

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,062
 あなたがたはみんな、根本のところで、強盗に盗みの欲求、あるいは必要性を起こさせる原因を生み出している。あなたがたひとりひとりが、強姦を可能にする意識を生み出している。あなたがたが自らのなかに犯罪の原因を見いだしたとき、ようやく犯罪の 温床 となる原因の治療を始めることができる。 飢えたひとびとに食物を、貧しいひとびとに尊厳を与えなさい。運に恵まれていないひとに機会を与えなさい。大衆が群れて怒る原因となる偏見に、より良い明日へのささやかな約束によって終止符を打ちなさい。性的エネルギー、意味なタブーや制約を捨て、ひとびとがその真のすばらしさを理解するように、適切な方向にエネルギーを向けるように助けてやりなさい。そうすれば、盗みや強姦がない社会に向かって大きく前進するだろう。

正しき社会になっているのなら、述べられている事件は起きないであろう。社会をつくるのは私たち、そして、私なのだから、私たちがそのような犯罪を作ってしまっている、ということなのだろう。納得できる。神の言葉であるように。

青色のハイライト | 位置: 1,070
「事故」というもの、曲がり角の向こうから疾走してくるトラックや、空から降ってくるレンガについては、出来事を大きなモザイクの一片として受けとめる 術 を覚えなさい。

事故は起こるべくして起こる。生命の要素があるときにある方法でぶつかり、ある結果を引き起こす。あなたがたは、自分なりの理由で、その結果を不運と呼ぶかもしれない。だが、魂の課題という点から考えれば、不運ではないかもしれない。

この件は、腑に落ちない。
「出来事を大きなモザイクの一片として受けとめる 術 を覚えなさい。」という意味が不明。
「空から降ってくるレンガ」を無くすには、その状況が起きないように、安全対策をせよ。しない私たちが、私たちの社会が原因をつくっているのだ。ということか。

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,082
もう一度念を押しておこう。偶然というものはないし、何ごとも「たまたま」起こったりはしない。個々の出来事や冒険は、真の自分を創造し、経験するために、あなたがた自身によって呼び寄せられるものだ。

事故は2分類できるであろう
・人が関与している事故(「空から降ってくるレンガ」などもそれに入れよう)
・人が関与しない純自然的な事故(地震など)
「純自然的な事故」が「あなたがた自身によって呼び寄せられるものだ。」とは言えないと思う。
ここの部分は不明である。

〈マスター〉はみんな、それを知っている。だから、神秘な〈マスター〉たちは、人生で(あなたがたが言う)最悪の出来事にぶつかっても動揺したりはしない。 キリスト教の〈マスター〉たちは、このことを理解していた。たとえば、十字架にかけられてもイエスは動揺せず、それどころか十字架を予期していた。イエスは歩み去ることもできたのに、そうしなかった。イエスはどの時点でも、プロセスを停止さ せる こと が でき た だろ う。 現に その 力 を もっ て い た。 だが、 そう し なかっ た。
彼は人類を永遠に救済するために、十字架に かかる こと を 選ん だ の だ。
「見よ、わたしが何をなしえるかを」と彼は言った。真実を見なさい。そして、あなたがたにもそれが、それ以上のことができるのを覚えておきなさい。わたしは、あなたがたが神であると言ったではないか。だが、あなたがたは信じない。 自分 を 信じ られ ない なら、 わたし を 信じ なさい、 と。

『「見よ、わたしが何をなしえるかを」と彼は言った。真実を見なさい。』とは、
イエスは神であり、それ故に、死んでも、復活することを言っているのか。
イエスは、自身の死と復活を示すことで、私たち全員の真の姿はイエスと同じく神であり、同様なことができると説明をしているのか。イマイチ不明である。

イエスは憐れみ深かったから、誰もが天国にこられるように──自己を救済できるように──と願い、ほかに方法がないなら、イエスを通してひとが天国にこられるように、世界に衝撃を与えることを願っ た の だ。 彼 は 人類 の 悲惨 と 死 を 打ち破っ た。

上記の説明と同じ意味か。

ピンク色のハイライト | 位置: 1,095
キリストの最も偉大な教えは、あなたがたが永遠の命を得られるだろうということではない。あなたがたには永遠の命があるということだ。あなたがたは神のもとで兄弟 と なる だろ う という こと では ない。 あなた がた は 兄弟 だ という こと だ。
あなたがたは求めたものを与えられるだろうということではない。すでに与えられているということだ。 必要なのは、それを知ることだけだ。あなたがたは自分の現実の創造者だ。そして人生はあなたがたが予想するようにしか、展開しない。 考えることは、現実になる。これが創造の第一歩である。父なる 神 とは 考え だ。 あなた がた の 考え は、 すべて の もの ごと を 誕生 さ せる 親 で ある。

黄色のハイライト | 位置: 1,111
どうして、わたしはあなたを、あるいは自分を否定したがるのでしょう?  

なぜなら、あなたがたは恐れているから。 あなたがたは不安だらけだ。なかでもいちばん大きいのは、わたしのいちばん大きな約束が人生最大の虚偽ではないかという不安だ。だから、あなたがたは自衛のために幻想を創り出す。力を与え、愛を保証する神の約束など、 悪魔の偽りの約束 に違いない、と主張する。神はそんな約束をするはずがない、そんなことをするのは悪魔だけだ、と自分に言い聞かせる。一方的に決めつけ、嫉妬し、復讐し、存在という存在を罰する恐ろしい悪魔、真の神を否定させようと誘惑する悪魔だけだ、と。 そんな神は悪魔と言うほうが(悪魔がいるとしたらの話だが)ふさわしいにもかかわらず、あなたがたは創造者である神にふさわしい約束を受け入れまいとして、あるいは自分に神と同じ資質があることを認めまいとして、 悪魔的な性質 の神を考える。 不安には、それほど大きな力がある。

「自分が神である、ということの不安が原因で、神を否定する悪魔を作り出す」という論理展開はむるがある気がする。
私でも、自分が神である、と教えられれば、勇気凛々、天にまで登る気持にはなれど、不安になり、悪魔を作り出そうなどとは思わない。
故に、本書のこの部分は不明である。

黄色のハイライト | 位置: 1,120
不安を捨てるよう努力しましょう。それで、もう一度、ほかの法則について話してもらえますか。

青色のハイライト | 位置: 1,130
感情は動いているエネルギーである。エネルギーが動くと、効果が表れる。大量のエネルギーが動けば、物質が創り出される。物質は凝集したエネルギーだ。

感情(精神)のエネルギーと物質のエネルギーを明確に分けて使用してないため、議論に危うさを感じる。
感情のエネルギーで物質はできない。加速器を使い大きな運動エネルギーをもった粒子同士を衝突させ、その運動エネルギーから新しい粒子(物質)をつくっている。感情のエネルギーから物質は生じないと思われる。
この常識にあらがって、新たな考えとして、感情(精神)のエネルギーは物質のエネルギーと同等か、それ以上、と主張しているのだろうか。それはわからない。

ピンク色のハイライト | 位置: 1,134
思考は純粋なエネルギーである。あなたがたが考えること、考えたこと、これから考えることはすべて創造につながる。思考のエネルギーは、決して死に絶えない。あなたがたの存在を離れて宇宙へと向かい、永遠に広がっていく。思考は永遠だ。

青色のハイライト | 位置: 1,143
エネルギーがいったん物質になれば、反対の、あるいは似ていないかたちのエネルギーに破壊されない限り、物質としてとどまる。この似ていないエネルギーは物質に働きかけて、それを解体し、その物質を創りあげていたエネルギーを放出する。 これが、あなたがたの原爆のもとになる理論の初歩的な説明だ。

感情(精神)のエネルギーと物質のエネルギーを明確に分けて使用せずに、感情の集まり(思想)を壊すには対立する感情の集まり(思想)が必要となる、風なことを述べている。
原爆の核分裂は、ウラン235に中性子が衝突し、それがクリプトン92とバリウム141に分裂し、中性子が放出されそれが連鎖反応していく。その際、ウラン235の原子核結合エネルギーの一部が外部に放出される。そのエネルギーが原爆のエネルギーとなる。
「この似ていないエネルギーは物質に働きかけてそれを解体」しているわけではない。
比喩として、原爆の仕組みを記載しているのだろうが、適切とは思えない。

ピンク色のハイライト | 位置: 1,155
個人でも、その考えが──祈り、希望、願い、夢、不安が──驚くほど強ければ、奇跡的な結果を生み出す。

青色のハイライト | 位置: 1,156
イエスはたびたび、これを実践した。彼は、エネルギーと物質をどう扱うべきか、どう組み合わせなおし、配分しなおし、コントロールするかを理解していた。多くの〈マスター〉もそれを知っていた。いまでも知っているひとはおおぜいいる。 あなたもそれを知ることができる。 たったいま。 それが、アダムとイヴが食べた善悪を知る智恵の実である。

イエスは自分の思いで物質出現させる技量、コントロール方法を理解していた。ということか。
ただ、そのコントロール方法を身に着けることと、善悪を知る智慧の実は関連が無いように思える。本書のこの箇所も理解できない、翻訳が悪いのか、対話だから、自動書記間違いなのか?

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,161
アダムの堕落と説明されているものは、じつは向上だった。人類の歴史で最も偉大な出来事だった。それがなければ、相対性の世界は存在しなかっただろう。アダムとイヴの行為は原罪ではなく、じつは最初の祝福だったのだ。あなたがたは、彼らがはじめて「間違った」選択をしてくれたことを心の底から感謝すべきだ。 アダムとイヴは、選択を可能にしてくれたのだから。

現在の解釈が、従来と全く違う。故に、これを読むにつけ、神様のことば、と思ってしまう。

黄色のハイライト | 位置: 1,173
 待ってください、その三つめにはびっくりしてしまう。不安や恐怖が似たエネルギーを引き寄せるなら、どうして存在するすべてが愛だということになるんですか?

至高の真実のなかでは、存在するすべては愛であり、存在したすべて、これから存在するであろうすべても愛である。絶対の領域に入るとき、あなたがたは愛のなかへ歩み入る。
不安や恐れは 愛の対極 である。これが 第一の両極。 相対性の領域を創ったわたしは、まず自らの対極を創り出した。さて、あなたがたが暮らす物質的な領域には、 二つの在り方しかない と言った。不安と愛である。不安に根ざした思考が、ひとつの物質的な場を生む。愛に根ざした思考がもうひとつの場を生む。
地球に生まれた〈マスター〉たちとは、相対性の世界の秘密を発見したひとたちである。そして、それが現実だと認めなかった人たちである。要するに〈マスター〉とは、愛だけを選択したひとたちである。あらゆる時に、あらゆる環境で、彼らは愛を選択した。 自分たちが殺されても、殺害者を愛した。迫害されても、迫害者を愛した。

「愛」という意味が厳密には理解できない。子供を愛する。恋人を愛する。ときの感情とイコールなのか。
自分がそのような「愛」を受けた経験がないから理解できないのか。

オレンジ色のハイライト | 位置: 1,207
わたしは、あなたの心の叫びを聞いた。あなたの魂の探求を見た。あなたがどんなに深く真実を求めているかを知っている。あなたは苦しみのなかで叫び、喜びのなかで叫んだ。限りなく、わたしを求めた。わたしに現れてくれ、説明してくれ、真実を明かしてくれと呼びかけた。 そこでわたしはいま、こうして優しく、誤解しようのない言葉で答えている。簡単で、混乱しようのない言葉で答えている。平凡な、惑わされようのない言葉で話している。

「簡単で、混乱しようのない言葉で答えている。平凡な、惑わされようのない言葉で話している。」というが、今まで述べてきたように、曖昧、意味不明な文章も、みうけられる。
それらを差し引いても、得るところが大きい著作だと思う。



















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