ヒトラーが犯した過ちは、彼が死にいたらしめた人びとをなんら害することも、侵すこともなかった。あの人びとの魂は、地上の束縛から解放された。さなぎから 蝶 が解放されるようにね。 残された人びとが彼らの死を 悼むのは、彼らの魂がどんな喜びへと分け入ったかを知らないからだ。死を経験したら 誰も死を悼んだりはしないよ。 彼らは時ならぬ死をとげたのだから「間違っている」とあなたは言うが、それは、宇宙では起こるべきでないことが起こりうると言っているのと同じだ。だが、わたしが何者で、どのような存在であるかを考えれば、それは不可能だよ。宇宙で起こることはすべて、完璧に起こるべくして起こっている。神はずいぶん長いあいだ、過ちを犯してはいないのだ。すべてに完璧さを見るなら──あなたが賛成できることばかりでなく、(とりわけ)賛成できないことでも完璧だと考えるなら──悟りを開いたことになる。
ここのところが、よくわからない。
我々が目指す究極の死は、他の人に殺される死ではなく、老衰による死だと思う。
この観点から考えると、ヒトラーにより殺されるというのは、望む死ではない。
著者は、結果はすべて正しい、といっている。結果に対しての価値判断をすべきである。
生起することは、世界のネットワークの結果としてのものである。
じぶんにとり、何が正しいのかの価値判断をしなくては進む道はわからない。
何を結果として求めるのか、それに合うように世界のネットワークをつくる。
生起したことが全て正しいというのは違うと思う。
ヒトラーにより殺されるというのは、正しい死ではない。
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