「神との対話」と「奇跡のコース(奇跡講座)」を比較されている先人がいらっしゃいました。
現時点で探索した方は二人のスピリチュアルプロ。
・KENさん
https://acim.jimdofree.com/not-different/
・Teru Sun さん
http://teruterulog.jugem.jp/?eid=522
まず、KENさんから、、KENさんの文章を引用します。
「神との対話」人間を創造し、万物を創造したのは神である。
→ ここで言う神とは、神が創造した神の子であるあなた方のこと。 すなわち神と同じ性質を受け継いでいる神の子。 その神の性質を受け継いでいる神の子が一時的に神から分離したと思い込んでしまったがゆえに分離を信じ、この世界である万物を自らが夢(幻想)の中で誤創造することとなった。 神からの分離という夢から醒めれば、何の万物も一切創造していなかったことがわかる。 これらをあえて詳しくは説明していないだけ。
「だが、この創られた現実はほんとうに現実的に見える。 現実的に見せて、ほんとうに存在すると思わせるのが目的だったからだ。」『神との対話』(P.81)
「神の子が一時的に神から分離したと思い込んでしまった」と、神の子が過ちを犯したといってるが、「神との対話」では、神に過ちなど無く、常に完璧であることが大前提になっている。
KENさんの理解の仕方には同意できない。
「神との対話」自分が何者であるかを知るために、自分を分裂させて体験したかった。
→ 神(神の性質を受け継ぐ子)であることを真に知るために、自分自身を分裂させて創ったこの世界(幻想)を活用して『贖罪』することにより、幻想から目醒め、自分自身を真に知る(神の性質を受け継ぐ者であることを知る)ことを示している。 自分自身を分裂させて世界を創造しなければ、自分自身を真に知る「贖罪の道」を開くことはできなかった。
「自分自身を分裂させて創ったこの世界(幻想)を活用して『贖罪』する」とあるが、「神との対話」の根本は、罪など無く、あるのは常に完璧である、ということであり、贖罪(罪を贖う)、などとは全く別世界の世界観である。
KENさんの理解の仕方には同意できない。
次にTeru Sun さんに移ります。
Teru Sun さんは、2書とも、神からの啓示、言葉ではなく、聞きかじった他者の考えをまとめたものだと述べている。Teru Sunは多読しているので、そのような評価になるのだろう。私の少ない読書量では何も言えないかもしれないが、いわゆる「内的体験」で「感じる」しかないのだろう。
わたしは信じる、Teru Sunは信じない、ということでしかないのであろう。
また、神からの言葉でなくとも、たとえ、ウォルシュが複数の考えを取りまとめ、統一した思想体系をつくったのだとしても、それに同意できれば、そして、勇気を得られるなら、目的は達している。
我々の目的は、勇気を得て、人生を歩むことなのだから。

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