神に対する認識論

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人生の全ては神から送られている

神の概念をどうとらえるのだろうか。
ヒトの認識力の限界を理解しながら、神を考える。
神を考える場合、まずはヒトの認識力を考えなければいけない。
認識とは何だろう、確実に感じるコトであろう、
リンゴを認識・好意を認識・心の平安を認識、、、
五感、感情、コトバ、思考を使い認識に至る。
これらのヒトの認識以外に、ヒトが知りえない他の認識方法があるのだろう。(宇宙人とか、、)
ヒトの認識の限界を踏まえながら、神に対する認識を考える。

ヒトの存在様式は、肉体と精神に大別される。
且つ、己の精神は他のヒトとの精神とつながり、ネットワークを成して存在している。
肉体と精神はそれぞれ独自の運動形態を持つ。
肉体は物質のエネルギーをベースにして存在し、五感で感知する。
精神は精神エネルギーをベースに存在し、第六感で感知する。
ここでの立場は、精神エネルギーは、それを生み出す場があり、そこを由来するものとする。
その精神エネルギーが主で、肉体は従で、精神エネルギーで肉体が活性するものとする。
精神エネルギーを生み出す場を秩序立てているエネルギーを神と命名する。

肉体・物質の運動形態は物理学により、解明されつつある。
量子力学により、ビッグバン近辺まで解明されつつある。
かたや、精神の運動形態はどこまで解明されているのか。
精神のビッグバンはあるのか、その来し方行く末の道筋がみえているのか。
神とは、その精神の運藤形態の中で位置づけられなければならない。
「神との対話」で、神がウォルシュ氏に話しかける体になっているが、そもそも、神と言われる存在は話すことができるのか、ヒトと同じ認識・感情があるのか。「神との対話」では、神のエネルギーを分割してできたのが、個々人と言っているから、私が持っていると同等の認識・感情の働きを神はもっているのか。
しかし、精神・神の運動形態は全くの不明であり、全体像は分からない。

全体像は分からないが、眼前の何某かが、神と対話をしたと言明し、その内容、状況から大いに傾聴すべきことだと感じたら、眼前に神がいる、と言っていいのだろう。


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