1章

この枠はウォルシュの質問です

この枠は神様からの答えです

これ以降、本文を読んでいきます。

1992年春、神との対話がはじまった。

ピンク色のハイライト | 位置: 177
口述筆記 をしているようなものだった。 この口述筆記は三年続…
起こっているのか理解できなかった。答えは、質問を書き終わり、 わたし自身の考えが消えてから、 はじめて現れた。手の動きより答えのほうが速いので、走り書きになった。混乱したり、この言葉はどこからくるのだろうとよけいな思いにとらわれたときには、いったんペンを置いて立ちあがり、ふたたび「霊感」を感じてから──「霊感」としか言いようがない──またデスクに戻って、筆記した。対話は、いまも続いている。この本には、その大半が記されている……最初は自分でも神と対話したなどとは信じられなかった。つぎには、自分にだけ価値のあるものだと思った。だが、いまではわたしだけのものではないことがわかっている。この対話はあなたに向けて、これを目にするすべてのひとに向けて行…

黄色のハイライト | 位置: 189
神はどんなふうに、誰に語りかけるのか。そう聞いたときの、神の…

(私感)
記載がわかりずらい。
結論は、神が語りかける(コミュニケートする)方法は、
1.経験を使う 2.感情を使う 3.思考を使う 4.言葉を使う
この結論が、書かれる個所でバラバラにされている、あるところでは、経験が抜け、感情が抜けとかで、わかりずらい。話をしているので、表現が話し言葉由来の不安定さが出ているのか。
※感情と思考のコミュニケーションの違いが判らない・経験のコミュニケーションの意味が不明

神の言葉を見極める方法が記載されているが、これは重要

オレンジ色のハイライト | 位置: 195
言葉で語りあおうとすると、とたんに言葉のもつ制約にしばられることになる。だからこそ、わたしは言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない。いちばん多いのは、 感情 を通じたコミュニケーションだ。 感情は、魂の言語だ。

オレンジ色のハイライト | 位置: 216
経験や感情によって、ひとは直感的に知る。いっぽう、言葉は知っていることをシンボル化しようとする試みにすぎず、混乱の原因になることも多い。

オレンジ色のハイライト | 位置: 222
神からのメッセージと、そうでないものとを見分けることは、なかなかむずかしい。
ピンク色のハイライト | 位置: 224
わたしのメッセージはつねに、あなたの最高の考え、最もくもりのない言葉、最も偉大な感情である。それ以外はべつの源から生じている。
ピンク色のハイライト | 位置: 227
最高の考えには、必ず喜びがある。

ピンク色のハイライト | 位置: 234
わたしからのいちばん力強いメッセージは経験だ。ところが、それさえ、あなたたち
ピンク色のハイライト | 位置: 234
は無視する。とくに、経験を無視する。 あなたがたが経験に耳を傾けさえすれば、世界はいまのようではなかったはずだ。経験に耳を傾けないから、あなたがたは何度も同じ経験をくり返さなければならない。

ピンク色のハイライト | 位置: 246
だけど、これがほんとうに神からのコミュニケーションだと、どうしてわかるのだろう? わたしの想像の産物かもしれないじゃないか?  


たとえそうでも、それがどうだというのか。 わたしなら、あなたの想像を通して働きかけられるとは思わないか。わたしは、目的にぴったりの思考や言葉、感情を生み出すことができる。 あなたが自分で考えたのでは、こんなに明快に語れなかったと考えれば、これが神との対話であることがわかるはずだ。さまざまな疑問について、自分でこんなふうに語ることができたなら、いまさら問いかける必要はなかっただろう。

黄色のハイライト | 位置: 252
神は誰にコミュニケートしているのだろう? 特別なひとたちがいるのだろうか? 特別な時があるのだろうか?

ピンク色のハイライト | 位置: 253
すべてのひとは特別であり、すべての時は黄金である。ほかよりも特別なひと、特別な時というものはない。

黄色のハイライト | 位置: 266
一部の、たとえばキリストのようなひとたちは、どうしてほかのひとたちよりも
あなたとコミュニケーションがとれたのでしょう?

黄色のハイライト | 位置: 270
間違っているように思われても、神の言うことに耳を傾けるべきだと言うのですか?

黄色のハイライト | 位置: 290
 それでは、何が権威ある根拠なのですか?

黄色のハイライト | 位置: 296
どうしてあなたは姿を現さないのですか。あなたがほんとうに神なら、どうしてわたしたちみんなが理解できる方法で現れてくださらないのです

黄色のハイライト | 位置: 330
それでは、欲しいものを求めることはできないのですか? 何かを祈るということは、 じつはそれを遠ざけることになるのですか?

黄色のハイライト | 位置: 340
でも、何かについて前もって神に感謝したのに、それが実現しなかったら? きっと幻滅し、腹が立ちますよ。

黄色のハイライト | 位置: 346
 だが、どうして、 そこにないとわかっていること に心から感謝できるのですか?

黄色のハイライト | 位置: 351
しかし、祈りがかなえられなかったというひとは、おおぜいいます。

黄色のハイライト | 位置: 364
祈りとは、望みがかなっていることを感謝することだとしたら、神は何もしないのですか? 祈りのあとで起こることはすべて、祈りという行為のおかげなのですか?

この質問の意図は「望みがかなうこと、に対する神の影響度はいかほどか」「自分の祈りで望みが叶うなら神は何もやってないのではないか」、ということです。私なら下記のように答えます。
・「すでに望みはかなっている、あいがとうございます、感謝感謝」により望みが叶う仕組みにしたのは神様である。神様の影響度は100%である。
しかし、本書では神様からの答えが的をはずしている。話し言葉だから話の流れが不安定なんだろうか。
だから、読後感がイマイチむねやけするカンジで全体像のすっきり感が薄くなる。
本書での神様からの答えは
・神は個別の祈りを聞いて「イエス・ノー」をいうものではない
・神は観察者であって創造者ではない
・神は人は自由に人生を過ごせるようにした
・神は人のプロセスには無関心、結果には深い関心をもつ
・人は人生の結果が不確かと思うから不安が出て、神に反する悪を作り出す(論理的に不明だな、、)
・人は愛し、破壊し、愛す、もの
、、、と答えが発散してしまう。発散後の答えに対して、ウォルシュさんが新たな質問を発するから、発散しっぱなし、、だから、とりとめがない、まとまった気がしない。いっていることは素晴らしいから、痛ましい。

黄色のハイライト | 位置: 417
 しかし、なぜなのですか? どうして、わたしたちはそんなことをするのですか?
(愛ー破壊ー愛の流れの事)

ピンク色のハイライト | 位置: 456
あなたがたは、無条件に愛されるというのはどんなことかを忘れている。

・無条件に愛された経験が無ければ、知ることはできない。どうすればいいのか。
・親の愛を問題にしているが、それは短絡的に思える。
・愛と不安は、アクセルとブレーキの役割をし、行動にバランスをもたらすものだと思う。


黄色のハイライト | 位置: 488
簡単なことのようにおっしゃいますが、決断しようとすると不安が勝ってしまうほうが多いですよね。それはなぜなのですか?

ピンク色のハイライト | 位置: 497
善意ではあるが間違った教師たちの教えを退け、 べつの種類の智恵をもったひとたちの教えに耳を傾けなければいけない。 そういうすぐれた教師は、昔もいまもたくさんいる。わたしは、真実を教え、導き、思い出させるひとたちなしに、あなたがたを放っておきはしない。しかし、いちばん偉大な教師は外にいる者ではなく、あなたがたの心の声である。それが、わたしが使う第一の道具だ。 あなたがたの心の声は、わたしのいちばん大きな声だ。
なぜなら、あなたがたに身近な声だから。心の声は、すべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。それに従う気になりさえすれば、針路を決めるレーダー、船の 舵、旅の道案内となる。 その声はたったいまも、あなたが読んでいるこの言葉が、愛の言葉か不安の言葉かを教えてくれるはずだ。この物差しを使えば、従うべき言葉か無視すべき言葉かわかるだろ

いいことを言うねえ

黄色のハイライト | 位置: 507
愛に支えられた行動をとれば、自分はほんとうは何者か、何者になりえるのかという、栄光に包まれた経験ができるとおっしゃいました。そのことを、もう少し詳しく説明してくれますか?

青色のハイライト | 位置: 509
あらゆる生命の目的はひとつしかない。
あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できる限りの栄光を体験する、とい「うことだ。

「すべての目的は、できる限りの栄光を体験する」と、最重要なことを述べているが、意味が分からない。
「栄光」とは何なんだろう。下記原著を探ってみる。

黄色のハイライト | ページ: 20
You said that when I always choose the action that love sponsors, then I will experience the full glory of who I am and who I can be. Will you expand on this please?

I will experience the full glory    :栄光を体験する
glory of who I am and who I can be :栄光の説明。
                  栄光とは「私が何者なのか、何を成し遂げられるのか」のこと。
つまり、
「栄光」とは「who I am and who I can be(私が何者なのか、何を成し遂げられるのか)」を知ること、身に着くこと、つまり、神と同等の存在と認識し、そうなること。
gloryは、大満足、の訳でもいいのではないかなあ

ピンク色のハイライト | ページ: 20
There is only one purpose for all of life, and that is for you and all that lives to experience fullest glory.
Everything else you say, think, or do is attendant to that function.
「that function」とは、「glory」を構成するしくみ。そのしくみを得ること。
しくみ:自分は神であることの認識、できないことはないことの認識、常に喜びに満ち溢れていることの認識

黄色のハイライト | 位置: 518

人生とは学校のようなものだ、何かを学ばなくてはいけない、ここを「卒業」すれば、肉体という かせ にしばられずにもっと大きな目的を追求できる、そう言うひとがいます。この考えは正しいのですか?

黄色のハイライト | 位置: 523

 それでは、何のためにこの世に生きているのですか?

黄色のハイライト | 位置: 527

ちょっと待ってください、わからなくなりました。人生は学校かというところまで戻りましょう。おおぜいの教師に、人生は学校だと聞かされてきました。それを否定されたのですから、正直に言うとショックです。

オレンジ色のハイライト | 位置: 529

学校とは、知らないことを教わりたいと思うとき、行くところだ。すでに知っていて、その 知識を体験したい というときに行くところではない。 (あなたがたの言う)人生とは、 概念として知っていることを体験的に知る機会

学校は・知識を覚える・体験を通して人間関係などを知る、ところなので、神様の答えはチト違う気がする。

黄色のハイライト | 位置: 673

知りたいことはたくさんあります。ありすぎるくらいです。それで、大きなわかりやすい質問から始めたいと思います。たとえば、なぜ世界はこんな状態なのか?

青色のハイライト | 位置: 685

そこに存在していたし、あなたがたもその世界からやってきたのだ。 絶対のなかでは知識があるだけで、体験はない。知っているというのは神聖な状態だが、最大の喜びは、何者かで「在る」ということのなかにある。「在る」ことは、体験してのちにはじめて達成される。「知る」こと、「体験する」こと、何者かで「在る」ことの順に発達し、進化する。これが聖なる 三位一体、神の三位一体である。 父なる神とは、「知る」ことだ。すべての理解の親であり、すべての体験はそこから生まれる。知らないことは体験できない。 息子である神は、「体験」だ。父が自らについて知っていることを体現し、行動化する。体験しなければ、何者かで「在る」ことはできない。 聖霊としての神は「在る」ことだ。息子が体験したすべてを超越して、ただ存在する。単純に、このうえなくみごとに「在る」ということは、知ったこと、体験したことの記憶を通じてのみ可能になる。 単純に「在る」ということは至福である。神の状態、自らを知り、体験したあとの状態だ。これこそ、神がはじめから求めていたものである。

三位一体って何だ?
神としての父、神としての子、神としての精霊
電磁波は粒子、波の2つの性質を有す、と同じ概念か、
「父」は、この世界を創造、今も維持
「子」は、人としてこの世に生まれたイエスのこと
「聖霊」は、聖書に出てくる「父」「子」以外の神
か?
三位一体は神学論争の末に生まれた不毛の結論か?
三位一体はユダヤ教、イスラム教には出てこない。
三位一体と、知る、体験、ある、と同関連するのか、わからない、

ウォルシュは、キリスト教をベースにした思想をもつから、それに影響されているのか、
ウオルシュの考えと、神の考えが混在されているのか
よくわからない、とりあえず、読み進めよう

青色のハイライト | 位置: 702

生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。 この三位一体の在り方が、神のしるしであり、聖なるパターンだ。三つでひとつ、それは崇高な領域のどこにでも見られる。時と空間、神と意識、微妙な関係はすべて、このかたちから逃れられない。
青色のハイライト | 位置: 705
人生の微妙な関係を扱う者は、誰でもそのなかに三位一体の真実を認める。 宗教家の一部は、三位一体の真実を父と子と聖霊と表現してきた。心理学者の一部は超意識、意識、潜在意識という言葉を使った。霊を扱うひとびとは精神と身体と霊魂と言う。科学者の一部はエネルギーと物質とエーテルと考える。哲学者の一部は、ものごとは思考と言葉と行為において真実になるまでは、真実とは言えないと語る。時について議論するときには、過去、現在、未来の三つの時制しかない。同じく、概念的にも時は、以前、現在、以後の三つに分かれる。空間的な関係は、それが宇宙における一点を考えるにしても、自分の部屋の各地点を考えるにしても、ここ、あそこ、そしてその間と考えるだろう。
青色のハイライト | 位置: 712
ところが、素朴な関係においては、「その間」という認識はない。素朴な関係はつねに二元的であるのに、崇高な領域の関係は必ず三元的だからである。左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女。これらの二者には、その間というものはない。一方か他方のどちらか、あるいはこうした二極的関係のなかで大きい、小さいの違いがあるだけである。 素朴な関係のなかでは、必ず対極が存在する。正反対のものが必ずある。日常の体験のほとんどはこちらにあてはまる。 崇高な領域の関係では、対極というものはない。すべてはひとつであり、一方から他方へと変転して終わりのない循環をくり返している。
青色のハイライト | 位置: 718
時間もそうした崇高な領域で、あなたがたが過去、現在、未来と呼ぶものはひとつの全体のなかに存在している。つまり 対極 ではなく、同じ全体の部分なのだ。同じ思考の進行、同じエネルギーの循環、同じ変わることのない真実の各側面である。したがって、過去と現在と未来は同じひとつの「時」に存在すると考えれば、それは正しい(
青色のハイライト | 位置: 723
世界がいまの状態なのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。生死の循環はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。生命それ自体がリズムだからだ。それは波であり振動であり、「存在のすべて」の鼓動だ。
ピンク色のハイライト | 位置: 727
病や不調は健康と快調の対極であり、あなたがたの要請に応じて
ピンク色のハイライト | 位置: 728
になる。どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にはならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。個人的な深い失望も自分で選んだものだし、世界的な災厄は世界的な意識の結果である。
ピンク色のハイライト | 位置: 736
この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかけなさい。人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。

■三位一体の例
・生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。
・三位一体の在り方が、神のしるしであり、聖なるパターンだ。三つでひとつ、それは崇高な領域のどこにでも見られる。
・心理学者の一部は超意識、意識、潜在意識という言葉を使った。
・霊を扱うひとびとは精神と身体と霊魂と言う。
・科学者の一部はエネルギーと物質とエーテルと考える。
・哲学者の一部は、ものごとは思考と言葉と行為において真実になるまでは、真実とは言えないと語る。
・時について議論するときには、過去、現在、未来の三つの時制しかない。
・空間的な関係は、それが宇宙における一点を考えるにしても、自分の部屋の各地点を考えるにしても、ここ、あそこ、そしてその間と考えるだろう。
・崇高な領域の関係では、対極というものはない。すべてはひとつであり、一方から他方へと変転して終わりのない循環をくり返している。

ここに共通点があるのか
「生じさせるもの、生じるもの、そして在るもの。」が共通概念か、
しかし、過去、現在、未来、がこの概念に当てはまるとは思えない。
単純に、対象が三分割できるか否かで、崇高なものか否かを決めているのか
崇高なものの定義が曖昧に思える。

■素朴な関係はつねに二元的である、の例
・素朴な関係においては、「その間」という認識はない
・左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女
・一方か他方のどちらか、あるいはこうした二極的関係のなかで大きい、小さいの違いがあるだけである。
・素朴な関係のなかでは、必ず対極が存在する。正反対のものが必ずある。日常の体験のほとんどはこちらにあてはまる。

「素朴な関係はつねに二元的である」という説は正しくないように思う
「左右、上下、大小、遅速、寒暑、そして被造物のなかでは最も偉大な二要素である男女」には、その間、というのはあるし、それは、アナログ的に言うと無限にある。
ウオルシュは何を言いたいのか、二元的、三元的、の概念で、世界が分類したいのだろうか。
自然災害が、素朴なレベルで生じる、と言いたいための説明なのか、

吉本隆明が世界のを、個人幻想、対幻想、共同幻想、の3つの構造で解明しようとしている。
個人幻想:一人の世界 対幻想:二人の世界 共同幻想:三人以上の世界
世界の基本単位はこの3つの構造で成り立つ、
「共同幻想:三人(三つ)以上の世界」が、全ての関係性を含む状況である。それを意味して、崇高な世界と言っているのか。
二元、三元、の定義が曖昧なので、何を言いたいのかわからなくなる。

■「過去と現在と未来は同じひとつの「時」に存在すると考えれば、それは正しい」とのべているが
上記の概念は、アインシュタインの一般相対性理論が述べていることである。
しかしながら、上記の考えは離れた二人の関係性でそう言えることもあるのであり、個人の世界で3時制が同時に存在するのではない。個人の世界では、エントロピー増大の法則を感知することにより、3時制を感知するのである。(参考「宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体」 著者 ブライアン・グリーン)
https://youtu.be/gMaopbzUs3o?si=zzPaSjUhjxEPg3UV
3時制が同時に存在する、という言い方は、奇をてらっているように思う。

■現在の世界の自然災害についての答え
・世界がいまの状態なのは、ほかの在り方ができず、まだ物質的に素朴な領域にあるからだ。地震やハリケーン、洪水、竜巻など、あなたがたが天災と呼ぶものは、一方の極から対極への要素の移動にほかならない。生死の循環はすべて、この移動の一部である。それが生命のリズムであり、素朴な領域にあるものはすべて、このリズムに従う。

物質的な崇高な世界になれば、自然災害は起きないのか、それはどうすればいいのか

■「世界的な災厄は世界的な意識の結果である。」













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